もう家にない家電の取扱説明書だけが、なぜか捨てられない夜

紙だけ残った家電に、私たちは少しだけ過去を見ている
引き出しの奥から、知らない白い冊子が出てきた。
いや、正確には知らないわけではない。
表紙には、ずいぶん前に使っていたドライヤーの型番が書いてあった。
でも、そのドライヤー本体はもうない。
たしか、温風が急にぬるくなって、最後は焦げたような匂いがして、怖くなって捨てた。
新しいドライヤーを買った日は、なんだか髪だけじゃなく生活まで少し良くなる気がして、私はちょっと浮かれていた。
なのに、取扱説明書だけが残っている。
本体はいないのに、説明だけがある。
なんだろう、この感じ。
別れた人の連絡先は消したのに、昔もらったコンビニのレシートだけ財布から出てくるみたいな、妙な気まずさがある。
4月24日。
暦の上では穀雨の頃で、春の雨が土をやわらかくして、植物が静かに伸びていく季節。
外はもう初夏の気配も混じっているのに、私の引き出しの中だけ、数年前の空気が畳まれていた。
捨てられないのは、必要だからではなく「覚えているから」
取扱説明書って、冷静に考えると不思議な紙だ。
買ったばかりの頃は、ちゃんと読む。
「使用前に必ずお読みください」と書かれているから、なんとなく真面目な顔でページをめくる。
でも実際には、ほとんど読まない。
ボタンの場所だけ見て、保証書の欄だけ確認して、あとは透明のファイルに入れる。
そして数年後、家電が壊れても説明書を開く前にスマホで検索する。
だったら、いらない。
そう言い切れたら気持ちいい。
でも、私は言い切れなかった。
なぜなら、そこには「買った日の私」が少し残っているから。
初めて一人暮らしを始めた頃、安い電子レンジを買った。
説明書の端に、開封したときの小さな折れ目がついていた。
それを見た瞬間、あの頃の狭いキッチンと、まだ使い慣れないマグカップと、夜ごはんを温めるだけで生活している気になっていた自分を思い出した。
誰にも言わないけれど、家電には人生の時期がくっついている。
ドライヤーは、失恋後に髪を切った時期。
炊飯器は、節約を頑張ろうとして三日坊主になった時期。
加湿器は、肌荒れがひどくて「ちゃんと暮らそう」と思った冬。
掃除機は、急に部屋を整えたくなった夜。
取扱説明書そのものは、ただの紙。
でも、それを見た瞬間に、私はその頃の自分に戻ってしまう。
だから捨てられない。
必要だからではなく、覚えているから。
生活の中でいちばん静かな未練は、紙の形をしている
未練という言葉を使うと、少し大げさに聞こえる。
でも、家の中には小さな未練がたくさんある。
着なくなった服。
使い切れない香水。
昔ハマっていたダイエット器具。
途中でやめたノート。
いつか使うと思っている紙袋。
その中でも、取扱説明書の未練はかなり静かだ。
服みたいに場所を取らない。
香水みたいに匂いで主張しない。
ダイエット器具みたいに視界に入って責めてこない。
ただ、ファイルの中で薄く眠っている。
だからこそ厄介なのだと思う。
「捨てなきゃ」と強く思うほどでもない。
「残しておきたい」と胸を張るほどでもない。
ただ、なんとなくそこにある。
この“なんとなく”が、生活を少しずつ重くする。
私は、仕事でも人間関係でも、わりとこの“なんとなく”を溜めがちだ。
本当は疲れているのに「まだ大丈夫」と思う。
本当は会いたくないのに「予定を断るほどではない」と思う。
本当はもう好きじゃないのに「嫌いになったわけじゃない」と思う。
そうやって保留にしたものは、消えるわけではない。
ちゃんと、心のどこかにファイルされている。
もう使っていない家電の説明書みたいに。
捨てようとした瞬間、説明書の裏から出てきたもの
私はその夜、思い切って古い説明書を捨てることにした。
ドライヤー。
小型ヒーター。
昔の電気ケトル。
もう存在しない家電たちの説明書を、ひとつずつ紙袋に入れていく。
少し寂しかった。
でも、同時に少し軽かった。
「ありがとう」とまで言うと、ちょっと丁寧すぎて自分で笑ってしまう。
でも心の中では、たぶんそれに近いことを思っていた。
最後に、古い炊飯器の説明書を開いた。
すると、裏表紙の間から小さな紙が落ちた。
レシートかなと思った。
保証書かなと思った。
でも違った。
そこには、私の字でこう書いてあった。
「ちゃんと暮らせる人になりたい」
一瞬、息が止まった。
いつ書いたのか覚えていない。
たぶん、炊飯器を買った日の私だと思う。
外食ばかりで、部屋も散らかっていて、でも急に思い立って炊飯器を買ったあの日。
私は、家電が欲しかったんじゃない。
ちゃんと暮らせる自分が欲しかったのだ。
そのメモを見て、私は少し笑った。
そして、少し泣きそうになった。
だって今の私は、まだ全然ちゃんとしていない。
洗濯物は畳まずに椅子へ置くし、夜ごはんは適当だし、休日は昼までスマホを見てしまう。
でも、あの頃より少しだけ、自分を責めなくなった。
ちゃんとできない日があっても、生活は続くと知った。
炊飯器がなくなっても、説明書が残っても、私自身はなんとかここまで来た。
そして私は気づいた。
捨てるべきだったのは、説明書ではなかったのかもしれない。
「ちゃんとしなきゃ」と思い続けていた、あの頃の私への厳しさだった。
古い説明書は捨てた。
でも、メモだけは残した。
それは未練ではなく、証拠だった。
私はずっと、ちゃんと暮らしたかった。
そして今も、不器用なまま暮らしている。
それでいいのかもしれない。
本体のない取扱説明書は、もう使い道のない紙だと思っていた。
でも本当は、過去の私が今の私に向けて残した、かなり遠回りな手紙だった。
春の雨が窓を少し濡らしていた。
私は引き出しを閉めて、明日の朝は久しぶりにごはんを炊こうと思った。







