クッションカバーの柄が逆さまだった朝、私はちゃんと暮らしているふりをやめました

クッションカバーの柄が逆さまなだけで、心の向きまでバレる気がした朝です
きちんとした部屋に見えるのに、どこか惜しい私です
朝、カーテンを開けた瞬間、部屋に春の光が入りました。
今日は4月29日、昭和の日です。
ゴールデンウィークの入口みたいな日で、外は少しだけ休日の顔をしています。
窓の外から聞こえる車の音も、いつもの平日より少しゆっくりしている気がしました。
私はコーヒーを淹れて、部屋を見渡しました。
床には物を置いていません。
洗濯物も一応たたんであります。
テーブルの上も、昨日の夜に勢いで片づけました。
なんとなく、ちゃんとした大人の女性の部屋に見えます。
けれど、ソファの上のクッションだけが、明らかにおかしかったのです。
柄が逆さまでした。
花柄の茎が上を向き、花びらが下を向いていました。
普通なら、直せばいいだけです。
たった一秒です。
でも私は、その逆さまのクッションを見たまま、しばらく動けませんでした。
なぜか分かりません。
その小さなズレが、今の自分そのものに見えたからです。
外では普通に働いています。
メイクもします。
人に会えば笑います。
「大丈夫です」と言うのも得意です。
でも家に帰ると、スマホを見ながら床に座り込んで、気づけば一時間経っています。
お風呂に入る前に体力を使い果たします。
ちゃんとしたい気持ちはあるのに、全部が少しずつ逆さまです。
クッションカバーの柄ひとつで、こんなに刺さるなんて思いませんでした。
しかも、そのクッションは昨日の私が自分で置いたものです。
誰かのせいではありません。
疲れていた私が、何も考えずに置いた結果です。
それなのに朝になって、それを見た私は少しだけ落ち込みました。
自分で作った小さな乱れに、自分で責められている気がしたのです。
でも、よく考えたら変です。
クッションの柄が逆さまなだけで、人生は終わりません。
婚活の返信が遅れても、部屋の観葉植物が少し傾いていても、冷蔵庫に豆腐とチョコしかなくても、私はまだ普通に生きています。
むしろ、ちゃんと暮らしているふりをすることのほうが、ずっと疲れるのかもしれません。
小さな違和感を直せない日は、心が省エネ運転をしている日です
クッションの柄を直せない日があります。
食器をシンクに置いたまま寝る日があります。
洗濯物をたたんだのに、クローゼットへ入れる最後の一歩だけができない日があります。
こういう小さな未完了は、誰にも見せるものではありません。
だからこそ、妙に本音が出ます。
私は昔、暮らしを整えている女性に憧れていました。
朝から白湯を飲んで、花を飾って、休日は作り置きをして、寝る前には読書をするような女性です。
もちろん素敵です。
でも実際の私は、白湯より先に通知を見ます。
花を飾る前に、花瓶を洗うことを考えて面倒になります。
作り置きより、冷凍うどんの頼もしさに拍手したくなります。
読書をしようとして、本を開いたまま寝落ちします。
そんな私が、クッションカバーの柄だけ完璧に整えようとしていたのです。
なんだか少し笑えます。
生活には、見栄を張る場所と、張らなくていい場所があります。
でも30代になると、その境目が分からなくなることがあります。
仕事では後輩に頼られたいです。
友達には余裕があると思われたいです。
婚活では、ちゃんと自立している女性に見られたいです。
家族には心配されたくないです。
そうやって外側を整えているうちに、家の中の小さなズレまで許せなくなっていました。
でも、クッションの柄が逆さまでも、部屋は部屋です。
私が休む場所です。
誰かの採点会場ではありません。
そう思ったら、少し肩の力が抜けました。
春は、意外と疲れます。
新年度の空気、気温差、連休前のそわそわ、周りの予定の華やかさ。
世間が明るくなるほど、自分だけ置いていかれるような気持ちになることもあります。
そんな日に、部屋まで完璧にしようとすると、心が追いつきません。
だから私は、逆さまのクッションを見ながら思いました。
今日は、直せない私を責める日ではなく、直さなくても座れる私を認める日にしようと。
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その朝、私はクッションの柄を直しませんでした。
あえて、そのまま背中に当てました。
すると、変なことに気づきました。
逆さまの柄は、座っている私から見ると、ちょうど正面だったのです。
ソファの前から見たら逆さまです。
でも私が座って、少し横を向くと、花柄はちゃんとこちらを向いていました。
つまり、私はずっと「誰かが部屋に入ってきたときの見え方」で、正しさを決めていたのです。
自分が座ったときにどう見えるかではなく、誰かに見られたときにどう見えるかを気にしていました。
その瞬間、少しだけびっくりしました。
クッションカバーに、こんなに核心を突かれると思っていませんでした。
私は、暮らしまで外向きに整えようとしていたのです。
誰も来ない部屋なのに。
誰に見せる予定もない朝なのに。
私はずっと、見えない誰かのために部屋を整えていました。
それに気づいたら、急におかしくなって笑いました。
そして、少し泣きそうにもなりました。
30代になると、自分のために選んでいるつもりのものが、実は誰かに変に思われないためのものだったりします。
服もそうです。
言葉もそうです。
休日の過ごし方もそうです。
「ひとりで過ごすのが好き」と言いながら、本当は誘われなかったことを気にしている日もあります。
「自炊しました」と言いながら、本当は誰かにちゃんとしていると思われたい日もあります。
「大丈夫」と言いながら、本当は全然大丈夫じゃない日もあります。
でも、逆さまのクッションは言っている気がしました。
こちらから見て心地よければ、それでいい日もありますよ、と。
その日、私はクッションを直さずにコーヒーを飲みました。
花柄は私のほうを向いていました。
外から見れば逆さまです。
でも、私から見れば正面です。
そしてその瞬間、私は思いました。
もしかして、今までの私の人生も、他人から見たら少し逆さまに見えていただけかもしれません。
婚活が思うように進まないことも。
休日に予定がないことも。
立派な趣味がなく、ただ家でぼんやりしてしまうことも。
外から見れば、少し寂しそうに見えるかもしれません。
でも私の内側から見れば、ちゃんと休んで、ちゃんと迷って、ちゃんと生きている時間でした。
ここで終われば、少し良い話です。
でも、その日の夕方、私はさらに驚くことになります。
なんとなくクッションカバーを外して洗おうとしたら、中から小さな紙が出てきたのです。
買ったときのタグかと思いました。
でも違いました。
去年の私が、引っ越し直後に書いたメモでした。
そこには、こう書いてありました。
「この部屋では、ちゃんとしすぎないこと」
完全に忘れていました。
私は、過去の自分から注意されていたのです。
しかもクッションの中からです。
ホラーではありません。
でも、ちょっとした生活の伏線回収です。
あの日の私は、新しい部屋で頑張りすぎないように、自分へ小さな約束を残していました。
それなのに今の私は、クッションの向きひとつで落ち込んでいました。
過去の私のほうが、今の私よりずっと優しかったのです。
私はそのメモを見て、思わず笑いました。
そして、クッションカバーを洗濯機に入れるのをやめました。
今日はまだ、この逆さまのままでいいと思いました。
だってこのクッションは、乱れていたのではありません。
私に、思い出す時間をくれていたのです。
ちゃんとしすぎないこと。
誰かに見せるためだけに暮らさないこと。
自分から見て、少し楽ならそれでいいこと。
4月29日の春の光の中で、私は逆さまのクッションに背中を預けました。
不思議と、いつもより深く息ができました。
そして思いました。
暮らしが整うとは、全部を正しい向きにそろえることではないのかもしれません。
疲れた自分が座ったとき、ちゃんと受け止めてくれる場所があること。
それだけで、もう十分なのかもしれません。
クッションの柄は、今日も少し逆さまです。
でも私の気持ちは、少しだけ前を向いています。






