予定のない夜にだけ丁寧になる私と、ヒトセラ原液がそっと触れてきた違和感

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美しい女性
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ヒトセラ原液を開けた夜、洗面台の鏡がちょっとだけ他人だった

スキンケアをする女性

夜の10時42分、コンビニで買ったアイスの袋をキッチンに置いたまま、洗面台の前に立っていました。

部屋はまだ少しだけ昼間のぬるさを残していて、髪の毛の内側に汗の名残みたいなものがあって、鏡の中の私は、ちゃんと帰ってきた顔をしているのに、どこかまだ外に置きっぱなしみたいな顔をしていました。

メイクを落としたあとの肌って、たまに正直すぎませんか。

「え、今日そんなに疲れてた?」って、自分で自分に聞きたくなる日があります。

そんな夜に、洗面台の端に置いてあった小さなヒトセラ原液の瓶を見て、私はなぜかちょっとだけ背筋を伸ばしました。美容液ひとつで人生が変わるなんて思っていないのに、瓶が小さいほど期待だけ大きくなるの、あれ、なんなんでしょうね。

「原液」って言葉、少しだけ強い。

ヒトセラ原液。

声に出すと、なんだか研究室っぽいし、肌に対して急に真面目になった人みたいで、少し照れます。

私は美容業界で働いてきた時間が長いので、成分の名前を聞いても、まったく知らない世界というわけではないのですが、それでも自分の顔に使うとなると、急に感情が前に出てきます。

セラミド。

乾燥。

バリア。

保湿。

言葉だけなら、もう何度も聞いてきました。

接客中にも、友人との会話にも、ドラッグストアの棚の前でも、何回も見てきた言葉です。

でも、夜にひとりで洗面台の前に立っているときの「乾燥」は、成分表の中にある乾燥とはちょっと違う気がします。

それは、頬のつっぱりだけじゃなくて、今日誰にも言わなかった言葉とか、仕事中に笑って流した小さなモヤモヤとか、婚活アプリで返信を考えているうちに面倒になって、スマホを伏せたまま放置している感じにも、少し似ています。

「肌、荒れてるかも」って言いながら、本当は心のほうが先にカサついている夜もあります。

これ、人に言うほどのことじゃないんです。

むしろ言ったら、「寝なよ」で終わる話です。

その通りすぎて、何も言えない。

ヒトセラ原液を手に出してみると、さらっとしているのに、どこかちゃんと残る感じがあって、私は手のひらを顔に当てながら、なぜか今日の自分の会話を思い出していました。

昼休みに同僚が「最近、肌の調子いいね」と誰かに言っていて、私は横でお弁当の卵焼きを口に入れながら、心の中で「いいなあ、言われたい側の人生」と思っていました。

小さい。

我ながら、器が小さい。

でも、そういう小さい感情って、たぶん洗顔フォームでは落ちないんですよね。

落ちないまま、夜まで一緒に帰ってくる。

電車の窓に映る自分の横顔が少し疲れていて、「いや、照明のせいですけど?」と謎の言い訳をして、駅の階段を上がるころには、もう何を言い訳していたのかも忘れている。

家に帰って、靴をそろえずに脱いで、バッグを椅子に置いて、部屋着に着替える前にソファに沈んで、スマホを見ながら20分だけのつもりが43分。

やることはある。

洗濯物もある。

明日の準備もある。

それなのに、スキンケアだけは妙にちゃんとしたくなる日があります。

ちゃんとしている自分を、どこかに少しだけ残しておきたいのかもしれません。

ヒトセラ原液は、ヒト型セラミドと天然セラミドが関係している美容液で、小さな瓶が並ぶ形になっていました。

こういう「小瓶が並ぶ感じ」に弱いんです。

旅行用でもないのに、どこか旅館のアメニティみたいで、ひとつ開けるたびに「はい、今日の私に支給します」みたいな気持ちになる。

誰も支給してくれないから、自分で支給するしかない。

自分で自分に配給。

言い方。

でも、30歳の一人暮らしって、たぶんそういう場面が多いです。


誰かに「大丈夫?」と聞かれる前に、自分で冷蔵庫の麦茶を飲んで、自分で洗濯機を回して、自分で肌に何かを塗って、自分で「まあ今日はここまででいいか」と決める。

その「ここまででいいか」が、たまにすごく雑になる。

夜ごはんが納豆ごはんだけの日、メイク落としが雑な日、湯船に入りたいのにシャワーだけで終わらせる日、パジャマじゃなくて部屋着のまま寝落ちする日。

そして朝になって、枕の跡が頬に残っているのを見て、「いや、肌以前に生活」とひとりでツッコむ。

それでも、スキンケアの時間だけは不思議です。

顔に触れると、自分がここに戻ってくる感じがします。

誰かに見せるための肌というより、今日一日、外で頑張っていた顔をいったん引き取る作業に近いです。

ヒトセラ原液を頬になじませながら、私は「これで明日、急に透明感爆誕です」みたいな期待はしていないふりをしていました。

していないふり、です。

本当は少ししている。

小瓶に期待を乗せるなんて、いい大人が何してるんだろうと思いながら、でも期待できるものが洗面台にひとつあるのは、案外悪くないです。

肌に触れたあと、手のひらに残った感触をもう一度首元に伸ばして、鏡の中の自分を見ました。

劇的な変化なんて、その場では何も起きません。

そりゃそうです。

映画じゃないし、洗面台はハリウッドじゃない。

蛍光灯は遠慮なく毛穴を照らすし、前髪は湿気で変な方向を向いているし、私はアイスの袋をキッチンに置きっぱなしにしている。

でも、その何も起きなさの中で、ほんの少しだけ「まあ、触ってあげたし」と思いました。

この「あげたし」が、少し恥ずかしい。

自分を大事にする、なんて綺麗な言葉にすると逃げたくなるけれど、頬に手を当てるくらいなら、まだできる日がある。

肌のためなのか、心のためなのか、その境目はわからないままでいい気がしました。

4月29日、昭和の日。

外ではゴールデンウィークの予定の話が少しずつ聞こえてきて、どこかへ行く人の声が軽く弾んでいて、私は予定表の空白を見ながら、洗面台で小瓶を開けています。

出かける予定がない日にも、肌は普通に乾く。

誰にも会わない日にも、鏡はちゃんとこっちを見る。

その事実が、少しだけ面倒で、少しだけやさしいです。

明日の朝、肌がどうなっているかはまだわかりません。

でも今夜の私は、アイスの袋を片づける前に、もう一度だけ鏡の前に立ってしまいそうです。




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