大人になった私が、レジ前の小さなキャラクターに負ける夜

「必要ではない」と分かっているのに、手が伸びる
七月十三日。暦の上では小暑のさなかで、七十二候では「蓮始開(はすはじめてひらく)」の頃です。泥の中から伸びた蓮が、朝の光に合わせて静かに花を開く季節だそうです。
けれど現実の私は、そんな風流とは少し遠い場所にいました。
仕事帰りのドラッグストア。外は、立っているだけでファンデーションが薄く溶けていきそうな蒸し暑さでした。冷房の風にほっとしながら、私は詰め替え用の洗剤と、値引きされた豆腐と、明日の朝に飲むカフェラテをかごに入れました。
それだけ買って帰るつもりでした。
ところがレジの手前に、期間限定のキャラクター付きハンドクリームが並んでいました。手のひらに収まる、小さなチューブです。
ピンク色の帽子をかぶったキャラクターが、こちらを見ながら、どう考えても仕事をしていない顔で笑っていました。
私は足を止めました。
家には、まだ使い切っていないハンドクリームがあります。
一本ではありません。
寝室に一本、洗面所に一本、バッグの中にも一本あります。しかも今回見つけた商品は、普段なら選ばない甘い香りでした。
必要かと聞かれたら、百パーセント必要ではありません。
それなのに私は、その小さなチューブを手に取りました。
三十代になってから、買い物にはいちいち説明が必要になった気がします。
この服は着回せるか。
この美容液は価格に見合うか。
このバッグは五年使えるか。
この食器は収納場所を圧迫しないか。
年収三百万円で一人暮らしをしていると、「かわいいから」という理由だけで物を買うことに、うっすら罪悪感がついてきます。
将来のために貯金したほうがいい。
婚活用の服を買ったほうがいい。
肌のためなら、パッケージではなく成分を優先したほうがいい。
頭の中には、いつも小さな経理担当者が座っています。
それ、本当に必要ですか。
似た物を持っていませんか。
かわいいだけで買うのですか。
ええ、かわいいだけで買うんです。
そう言い切れたら気持ちいいのですが、実際の私は、商品を持ったまま売り場を二周しました。一度棚に戻し、また取り、裏面の成分を読むふりまでしました。
香りの説明など、ほとんど頭に入っていませんでした。
私が欲しかったのはハンドクリームではなく、そのキャラクターを見た瞬間に胸の奥に生まれた、ほんの少しのゆるみだったからです。
女性を対象にした2025年の調査では、キャラクターグッズやおもちゃ、かわいい物を持っていると答えた人は約八割にのぼりました。
また、購入のきっかけとして「かわいい」という感情が大きく関わっていることも報告されています。大人がキャラものを欲しがることは、珍しい秘密ではなくなっています。
けれど、数字で多数派だと分かっても、レジに並ぶ私は少しだけ恥ずかしかったのです。
たぶん私は、「大人なのに」と思っていました。
大人なのに、こんな物が欲しい。
大人なのに、理屈で選べない。
大人なのに、小さな笑顔ひとつに助けられている。
でも、その「大人なのに」は、いったい誰に言われた言葉なのでしょう。
映画、TV番組、ライブTV、スポーツを観る【Amazon Prime Video】キャラものは、言葉を持たない小さな避難所でした
三十代の毎日は、思っていたより説明の連続です。
なぜ結婚しないのか。
これから仕事をどうするのか。
収入をどう増やすのか。
どうしてそんなに疲れているのか。
休日は何をしているのか。
子どもは欲しくないのか。
本当は寂しくないのか。
聞く側に悪気がないことも分かっています。
だから私は笑って答えます。
今は仕事を頑張りたくて。
いい人がいればと思っています。
一人の時間も好きなんです。
まだ焦ってはいないです。
どれも嘘ではありません。でも、全部を足しても私の本音にはなりません。
本当は、焦る日もあります。
一人が気楽で、一人が怖い夜もあります。
仕事を頑張りたいのに、頑張った先に何があるのか分からなくなる日もあります。
誰かに選ばれたいと思う自分と、誰にも評価されたくない自分が、同じ部屋に住んでいます。
人間の気持ちは、アンケートの選択肢ほどきれいに分かれていません。
その点、キャラクターは何も聞いてきません。
結婚の予定も、年収も、肌の調子も聞きません。
こちらが三日間同じ部屋着でも、婚活アプリを消して翌週また入れ直しても、深夜にポテトチップスを開けても、あの丸い目のまま黙っています。
責めない。
急かさない。
正論を言わない。
それだけで、ずいぶん救われるのです。
近年の推し活では、グッズをしまっておくだけでなく、ぬいぐるみやモチーフを日常の中に置き、「推しと暮らす」楽しみ方が広がっているといわれています。
持ち歩く、飾る、一緒に写真を撮る。
これは単なる所有欲というより、好きな存在を生活の風景に混ぜる行為なのだと思います。
私の部屋にも、小さなキャラクターの巾着があります。
昔、コンビニのくじで当たった物です。高価ではありません。希少価値もありません。ファッション誌に載るようなおしゃれな物でもありません。
その巾着には、胃薬と頭痛薬と絆創膏を入れています。
なんとも現実的です。
けれど、バッグの中でその顔が見えると、少しだけ安心します。
体調が悪くなっても大丈夫。
今日の私は、自分を助ける物をちゃんと持っている。
そう思えます。
かわいい物は、問題を解決してくれません。
家賃を払ってくれるわけでも、婚活の相手を連れてきてくれるわけでも、毛穴を消してくれるわけでもありません。
それでも、問題に押しつぶされないための数センチの余白をつくってくれます。
私は以前、かわいい物を欲しがる自分を、少し弱いと思っていました。
もっと成熟した女性なら、上質な革小物や無地のポーチを選ぶのだろう、と勝手に想像していました。
落ち着いた色。
長く使える素材。
どこに持って行っても恥ずかしくないデザイン。
「恥ずかしくない」という基準で選んだ物は、たしかに失敗が少ないです。
でも、ときどき私は思います。
恥ずかしくない物ばかりで部屋を満たしたら、私は誰に褒めてもらえるのでしょう。
誰も見ていない寝室でまで、大人として正解の物を選ばなくてもいいはずです。
疲れて帰った夜、棚の上にいる小さなぬいぐるみを見て、ふっと肩の力が抜けるなら、その瞬間だけで十分に役目を果たしています。
それは幼さではありません。
誰にも迷惑をかけず、自分の機嫌を少しだけ自分で取り戻す、かなり地道で切実な生活の知恵です。
世の中では、「いい年をしてキャラクターなんて」という視線が、まだ完全になくなったわけではありません。
でも私は思います。
大人とは、かわいい物を卒業した人ではありません。
自分が何に救われているのかを、誰かの基準ではなく自分で決められる人ではないでしょうか。
キャラクターのついたポーチを持っているだけで、仕事の能力が下がるわけではありません。
ぬいぐるみと一緒に写真を撮ったからといって、人生設計が甘くなるわけでもありません。
かわいいスマートフォンケースを使いながら、税金を払い、家賃を払い、誰かの機嫌に振り回されそうな日も自分を立て直して生きています。
十分すぎるほど、大人です。
むしろ私は、何にも頼らず、何にも癒やされず、ずっと一人で平気な顔をすることのほうが危ういと思っています。
人には、心を戻す場所が必要です。
それがカフェでも、音楽でも、お風呂でも、キャラクターでもいいのです。
役に立つかどうかではなく、「これを見ると少し呼吸がしやすい」と思える物を、自分の生活に置いておく。
それは浪費ではなく、自分が壊れないための小さな手当てなのかもしれません。
◆>>美しくなるためのサプリメント SNS話題沸騰中の【グラミープラス】はこちらかわいい物を買ったのではなく、私は昔の自分を迎えに行った
レジ前で迷った末、私はキャラクター付きのハンドクリームをかごに入れました。
会計は二千円を少し超えました。
予定より六百円ほど高くなりました。
店を出ると、夕方なのに空気はまだ熱く、アスファルトから昼間の暑さが戻ってくるようでした。
小暑という言葉は控えめなのに、夏はまったく控えめではありません。
七月十三日頃は、七十二候で蓮の花が咲き始める時季とされています。暑さの中でも、蓮は濁った水の上に静かに花を開きます。
家に着いて、冷蔵庫に豆腐を入れ、洗剤を棚にしまいました。
そして最後に、例のハンドクリームをテーブルに置きました。
改めて見ると、やっぱり少し子どもっぽいデザインでした。
私は苦笑いしました。
六百円あれば、卵と牛乳が買えたかもしれません。
ドラッグストアのポイントが多くつく日に買えばよかったかもしれません。
そもそも家にハンドクリームはあります。
買い物の反省会が始まりそうになったとき、母からメッセージが届きました。
「片づけていたら出てきたよ」
一枚の写真が添えられていました。
そこには、小学生の頃の私が使っていた筆箱が写っていました。
表面には、今日買ったハンドクリームと同じキャラクターがいました。
私はしばらく画面を見つめました。
完全に忘れていたのです。
そのキャラクターが好きだったことも、その筆箱を使っていたことも。
母に聞くと、私はその筆箱をとても大事にしていて、表面が汚れないように毎晩ティッシュで拭いていたそうです。
クラス替えの日も、運動会の日も、友達とけんかした日も、その筆箱を持って学校へ行っていたそうです。
写真の中の筆箱は、角が擦れて白くなっていました。
きれいではありません。
でも、見た瞬間、胸の奥に小さな痛みが走りました。
私はその頃から、あのキャラクターに守ってもらっていたのかもしれません。
小学生の私は、大人になったら何でも迷わず決められると思っていました。
好きな仕事をして、好きな人と結婚して、欲しい物を堂々と買うのだと思っていました。
まさか三十代になった自分が、六百円のハンドクリームを前に売り場を二周するとは知らなかったでしょう。
私は袋からハンドクリームを取り出し、手の甲に少し塗りました。
甘い香りがしました。
やっぱり、普段なら選ばない香りでした。
それなのに、その夜は嫌ではありませんでした。
懐かしいというより、時間の向こうから何かが戻ってきた感じがしました。
私は今日、キャラものを衝動買いしたのではありませんでした。
ずっと昔に置いてきた、自分の「好き」を迎えに行ったのです。
ここで話が終われば、少しきれいすぎるエッセイだったと思います。
けれど翌朝、母からもう一通メッセージが届きました。
「その筆箱、あなたのじゃなかった。お姉ちゃんのだった」
私は声を出して笑いました。
感動を返してほしいです。
昨夜あれほど胸を震わせ、ハンドクリームを握りしめながら過去の自分と再会したつもりだったのに、筆箱の持ち主は姉でした。
私の記憶ですらありませんでした。
では、あの買い物に意味はなかったのでしょうか。
いいえ。
不思議なことに、私はそう思いませんでした。
思い出が間違っていても、あのキャラクターを見て心がゆるんだことは本当でした。
自分を迎えに行ったと思った夜、私は確かに少しだけ自分に優しくなれました。
もしかすると、私たちは物を買うとき、いつも正確な理由を持っているわけではないのです。
懐かしいから。
癒やされるから。
限定だから。
頑張ったご褒美だから。
いろいろ説明をつけますが、最後はもっと単純なのかもしれません。
今日を乗り切った私が、今日の私に渡したかった。
ただ、それだけです。
キャラものは、大人になりきれない証拠ではありません。
大人として何とか一日を終えた人が、鎧を脱ぐための小さな留め具なのだと思います。
仕事では判断を求められ、恋愛では将来を考え、買い物では費用対効果を計算する。
そんな毎日の中で、理由もなく「好き」と言える物がひとつくらいあっていいです。
むしろ、理由を説明できない好きな物ほど、私たちの奥にある本音に近いのかもしれません。
蓮の花は、泥がなかったことにして咲くのではありません。
泥の中に根を張ったまま、水面に顔を出して咲きます。
私たちも同じです。
不安も、焦りも、失敗も、買いすぎたハンドクリームも抱えたまま、それでも少し笑えればいいのです。
今夜、私のテーブルには、仕事をしていない顔のキャラクターがいます。
その隣には、支払い期限を書いた封筒と、婚活アプリを開いたままのスマートフォンがあります。
かわいい物と、かわいくない現実が、同じテーブルに並んでいます。
たぶん、それが私の暮らしです。
そして今の私は、そのちぐはぐさを、前より少しだけ好きになっています。





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