誰にも褒められない一杯を、自分のためだけに淹れてみました
仕事を終えて、スーパーに寄って、値引きシールの貼られたお惣菜を買って帰りました。
玄関でパンプスを脱いだ瞬間、足の裏から「本日の営業は終了しました」という声が聞こえた気がしました。
まだ洗濯物は畳んでいません。
シンクには朝使ったマグカップが残っています。
スマートフォンには、婚活アプリから新しい「いいね」が届いていましたが、開く気力はありませんでした。
プロフィールに書かれた「休日はカフェ巡りをしています」という一文を見ただけで、なぜか少し疲れてしまったのです。
カフェ巡りが嫌いなのではありません。
むしろ好きです。
白い壁、観葉植物、木製のテーブル、丁寧に盛りつけられたケーキ。
きれいな店内でコーヒーを飲んでいると、自分までちゃんとした女性になれたような気がします。
けれど、その日の私は、ちゃんとしていませんでした。
化粧は崩れ、前髪は湿気でうねり、冷蔵庫には賞味期限が今日までの豆腐がありました。
七月十三日。
暦の上では小暑を過ぎ、本格的な暑さがじわじわと日常へ入り込む頃です。
七十二候では「蓮始開(はすはじめてひらく)」の時期に重なります。泥の中から茎を伸ばした蓮が、静かに花を開き始める季節です。
蓮は誰かに見てもらうために咲くのでしょうか。
たぶん、違います。
けれど私はいつの間にか、誰にも見られない時間を、少し雑に扱うようになっていました。
人に会う日は、髪を巻きます。
仕事へ行く日は、服にアイロンをかけます。
婚活の予定がある日は、前日からパックをします。
それなのに、誰にも会わない夜の私は、冷めたお茶を立ったまま飲んでいました。
自分ひとりしかいない時間には、手間をかけなくてもいい。
そんなルールを、誰に言われたわけでもないのに守っていたのです。
その夜、棚の奥に置いていたLEO SPECIALTY COFFEEを取り出しました。
世界中から選んだスペシャルティコーヒーを扱い、豆または粉の定期便では、好みに合わせて浅煎り・中煎り・深煎りのコースを選べるブランドです。
良質な豆の仕入れだけでなく、風味を損なう原因になり得る欠点豆を手作業で取り除き、焙煎後の鮮度やサンプルの状態も確認して届けることを大切にしているそうです。
公式サイトには、浅煎りは柑橘や花を思わせる華やかな方向、中煎りは酸味を抑えたバランスのよい方向、深煎りはコクと濃厚な香りを楽しむ方向として紹介されています。
けれど正直に言うと、そのときの私には、豆の産地や専門的な評価より先に気になることがありました。
「私ひとりのために、今からお湯を沸かすの?」
ということでした。
「自分しか飲まないのに」が、私の口ぐせになっていました
コーヒーを淹れるだけです。
大事件ではありません。
ケトルに水を入れて、豆を用意して、お湯を注ぐだけです。
それでも、疲れている夜には、その数分がとても贅沢に感じられます。
贅沢というより、ぜいたくをする資格が自分にあるのか、少し迷うのです。
年収三百万円。
家賃や光熱費、スマートフォン代、美容院代、婚活に着ていく服。
暮らしているだけで、お金は思っている以上に静かに出ていきます。
コーヒーなら、インスタントでも飲めます。
コンビニへ行けば、手頃な価格で買えます。
それなのに、わざわざ豆を選び、器具を出し、自分で淹れる必要があるのか。
誰かが遊びに来るわけでもありません。
写真を撮ってSNSへ載せる予定もありません。
味の感想を聞いてくれる人もいません。
「自分しか飲まないのに」
私は何度、この言葉を使ってきたのでしょう。
自分しか食べないから、夕食は適当でいい。
自分しか見ないから、部屋着は毛玉だらけでもいい。
自分しか眠らないから、シーツの交換は来週でいい。
自分しか喜ばないから、花なんて買わなくていい。
ひとつひとつは、たいした話ではありません。
でも、それが積み重なると、自分自身へ向ける扱いが、だんだん雑になっていきます。
そして不思議なことに、自分を雑に扱っていると、他人から大切にされないことにも慣れてしまいます。
返信が三日後でも、「忙しい人だから」と納得します。
こちらの都合を聞かずに夜遅く呼び出されても、「会えるだけでいい」と思います。
仕事を押しつけられても、「私がやったほうが早いから」と笑います。
本当は傷ついているのに、平気な顔が上手になっていきます。
コーヒーの話をしていたはずなのに、胸の奥から、見ないふりをしてきたものが次々と出てきました。
ケトルのお湯が沸く音を聞きながら、私は少しだけ泣きそうになりました。
疲れていたからではありません。
自分のために数分を使うことさえ、ずっと後回しにしていたことへ、ようやく気づいたからです。
お湯を注ぐ数分間だけ、誰の役にも立たなくてよかったのです
袋を開けると、コーヒーの香りがふわりと広がりました。
まだ飲んでいないのに、部屋の空気だけが先に変わりました。
お湯を少し注ぎ、粉がふくらむのを待ちます。
急いで全部注ぎたくなりますが、ぐっとこらえました。
スマートフォンの画面を伏せました。
婚活アプリも開きません。
洗濯機も回しません。
明日の予定も考えません。
コーヒーが落ちていくのを、ただ見ていました。
ぽたり、ぽたり。
たったそれだけの時間なのに、久しぶりに誰の役にも立っていませんでした。
接客の仕事をしていた頃は、お客様に喜んでもらえることがうれしかったです。
美容の仕事では、人がきれいになって表情を明るくする瞬間が好きでした。
人のために動くことは、今でも嫌いではありません。
でも、人の役に立つ自分ばかりを育てていると、役に立たない自分を許せなくなることがあります。
何も生み出していない時間。
褒められない時間。
お金にならない時間。
誰にも見せられない時間。
そういう時間を、「無駄」と呼ぶ癖がついていました。
けれど、コーヒーを淹れている私は、本当に何もしていなかったのでしょうか。
荒れていた心を、少しずつ元の場所へ戻していました。
今日言われた嫌な言葉を、明日まで持ち越さないようにしていました。
寂しさを埋めるためだけに、好きでもない相手へ返信しそうになる自分を止めていました。
そう考えると、休むことは何もしないことではありません。
自分をこれ以上壊さないための、かなり切実な作業です。
マグカップを両手で包み、一口飲みました。
勢いだけで飲むコーヒーとは違い、口の中に残る余韻がありました。
もちろん、コーヒー一杯で人生が劇的に変わるわけではありません。
給料は増えません。
理想の相手から連絡が来るわけでもありません。
毛穴が消えるわけでも、明日の仕事がなくなるわけでもありません。
そんな魔法はありません。
でも、その夜の私は、自分の生活へ一度きちんと戻ってこられました。
それで十分でした。
何か大きな問題を解決しなくても、今いる場所へ自分を連れ戻すことはできます。
LEO SPECIALTY COFFEEの一杯は、私にとって「おしゃれなコーヒーを飲む時間」ではありませんでした。
今日の自分を置き去りにしないための時間でした。
誰にも評価されないのに、丁寧にお湯を注ぐ。
誰にも褒められないのに、香りを味わう。
誰にも見せないのに、好きなマグカップを使う。
それは、とても小さな反抗でした。
効率ばかりを求めてくる毎日への反抗。
女性ならいつもきれいで、機嫌がよくて、仕事も恋愛も前向きでいるべきだという空気への反抗。
そして何より、「私なんて後回しでいい」と考えてしまう自分への反抗でした。
七月の夜は、窓を少し開けても生ぬるい風しか入ってきません。
蝉は昼間に力を使い果たしたのか、夜になると街は意外なほど静かです。
その静けさの中で、私は自分の呼吸の音を久しぶりに聞きました。
大丈夫とは思えませんでした。
明日から頑張ろうとも思いませんでした。
ただ、「今日はもう、これ以上頑張らなくていい」と思えました。
前向きになれない夜に、無理やり前を向かなくてもいいのです。
下を向いたままでも、温かいものは飲めます。
本当は、コーヒーを飲みたかったのではありませんでした
飲み終えたあと、カップの底を見ながら、私はようやく気づきました。
私が欲しかったのは、おいしいコーヒーだけではありませんでした。
誰かに「今日は大変だったね」と言ってほしかったのです。
頑張ったことを説明しなくても、疲れている顔を見ただけで気づいてほしかったのです。
仕事の愚痴を言っても、婚活がうまくいかないと弱音を吐いても、「考えすぎだよ」と片づけずに聞いてほしかったのです。
けれど、その夜、部屋には私しかいませんでした。
だから仕方なく、自分で自分にコーヒーを淹れました。
最初は、そう思っていました。
誰もいないから、自分でやるしかないのだと。
ところが、違ったのです。
誰もいなかったからこそ、私は初めて気づけました。
私はずっと、誰かに大切にしてもらえる日を待っていました。
恋人ができたら。
結婚できたら。
収入が増えたら。
作家として認められたら。
そのときになれば、今より少し上等な暮らしをしてもいいと思っていました。
けれど、自分を大切にする権利は、未来の審査に合格した人だけが受け取れる賞品ではありません。
今の私にもあります。
年収三百万円でも。
婚活がうまくいっていなくても。
部屋が散らかっていても。
今日ひとつも立派なことをしていなくても。
そのことに気づいた瞬間、私は少し驚きました。
LEO SPECIALTY COFFEEを飲んだ夜、私は「ひとりでも優雅に暮らせる女性」になったのではありません。
むしろ反対でした。
ひとりで平気なふりをするのを、やめたのです。
寂しいものは寂しい。
疲れたものは疲れた。
誰かに優しくされたい。
抱きしめられたい。
安心して眠りたい。
その気持ちを無理に消す代わりに、せめて今夜だけは、自分を粗末にしないと決めました。
そして翌朝。
ここから少し、情けない話をします。
昨夜あれほど丁寧に自分と向き合った私は、見事に寝坊しました。
目覚ましを止めた記憶もありません。
慌てて起き上がり、顔もろくに洗わず、昨日の残りのコーヒーを飲もうとしました。
もちろん、すっかり冷めていました。
私は一口飲み、思わず顔をしかめました。
深夜にあれほど人生を語り合った相棒が、朝にはただの冷たい液体になっていたのです。
人生、余韻に浸らせてくれません。
しかもテーブルを見ると、昨夜片づけたはずのコーヒーの粉が少しこぼれていました。
美しい暮らしには程遠い朝でした。
それでも私は、なぜか笑ってしまいました。
自分を大切にすると決めた翌日に、完璧な人間へ生まれ変わるわけではありません。
寝坊もします。
シンクも散らかります。
コーヒーも冷めます。
恋愛で同じような失敗を繰り返すかもしれません。
でも、それで昨日の一杯が無駄になるわけではありません。
大切なのは、毎日丁寧に暮らし続けることではなく、雑になってしまった自分を、ときどき迎えに戻ることなのだと思います。
毎朝でなくてもいいのです。
特別な休日だけでもいい。
泣きたい夜だけでもいい。
自分しか飲まない一杯を、あえて丁寧に淹れてみる。
それだけで、自分に対する態度を少し変えられることがあります。
LEO SPECIALTY COFFEEは、誰かへ見せるための「映える時間」を作るコーヒーではありませんでした。
私にとっては、誰にも見せていない自分を、見捨てないためのコーヒーでした。
そして最後に、いちばん驚いたことを書きます。
私はこれまで、ひとりの夜を寂しいと思っていました。
けれど本当に寂しかったのは、部屋に誰もいなかったことではありません。
私が、私の味方としてそこにいなかったことでした。
コーヒーを淹れたあの数分間、ようやく私は、自分のいる部屋へ帰ってきました。
恋人でも、友人でも、家族でもない。
ずっと待っていた「私を大切にしてくれる人」は、未来から現れる誰かではありませんでした。
お湯を注ぎながら、今夜の私を置き去りにしなかった、私自身だったのです。
明日も立派には生きられないと思います。
また疲れて、お惣菜のふたを開けたまま食べるかもしれません。
婚活アプリの返信を考えすぎて、結局送れないかもしれません。
それでも、もう少しだけ自分を信じてみます。
蓮が泥を恥じずに花を開くように、整っていない生活の中でも、私たちは小さく咲いていいのです。
誰にも見られていない夜ほど、自分に雑な言葉を使わないこと。
誰にも褒められない一杯ほど、好きなカップで飲むこと。
それが今の私にできる、いちばん現実的な自愛なのだと思います。
今夜も、完璧にはなれません。
でも、自分を置き去りにしない夜にはできます。






