ちゃんとした大人でいようとして息切れした日、帰り道に心が内側へ戻った理由

今朝は、カーテンのすき間から差し込む光がやけに白くて、部屋の空気がまだ眠っているみたいだった。暖房をつけるほどでもないけど、床は冷たい。
マグカップにお湯を注いで、インスタントのスープを溶かす音だけがやけに大きく聞こえる。一人暮らしの静けさって、味方のときと、ちょっと怖いときがある。
今日は仕事もそこそこ、予定もそこそこ。だからこそ、油断して「丁寧に生きる」みたいな顔をしてみたくなって、出勤前に玄関のたたきを軽く拭いた。ほんの30秒。たったそれだけなのに、なぜか「えらいぞ私」と思ってしまうあたり、普段どれだけ生活が雑なのかがバレる。
エレベーターの中で、言葉が喉に引っかかった
帰り道、駅から家までの間に小さく雨が降りはじめて、傘をさすほどでもないのに髪の毛がじわっと湿る、いちばん嫌なやつだった。コンビニで温かいお茶を買って、袋が手のひらに張り付く感じを持て余しながらマンションに入る。
エレベーターの前で、同じ階の人と一緒になった。会釈はできた。笑顔も(たぶん)作れた。でも、そのあとが続かなかった。二人きりの箱の中で、沈黙がじわじわ濃くなっていく。
「寒いですね」とか、「雨、降ってきましたね」とか、言えたらよかった。言えたら“普通の大人”っぽい。けど、喉の奥で言葉が引っかかって、結局、私はボタンの数字を見つめるだけになった。
本音を言うと、会話が苦手なんじゃなくて、“自分の機嫌が悪い日”を他人に知られるのが怖かった。
今日は別に大きな不幸があったわけじゃない。仕事でミスしたわけでも、嫌なことを言われたわけでもない。ただ、なんとなく疲れていて、なんとなく顔がしょぼくて、なんとなく心が内側に引っ込みたい日だった。
そんな日でも、私は「ちゃんとした人」に見られたい。
一人暮らしって自由なのに、こういうところだけ、妙に気を張る。誰に頼まれたわけでもないのに、勝手に。
エレベーターが目的の階に着いて、ドアが開いた瞬間、相手が「お先に」と小さく言った。私も反射で「どうぞ」と返した……つもりだったけど、声が出ていたかは自信がない。たぶん、口だけ動いた。魚か。
「感じのいい人」を演じる体力が、今日はなかった
部屋に入ったあと、靴を脱いで、買ったお茶をテーブルに置いたときに、遅れてじわっと自己嫌悪がきた。
なんであんなに黙ってしまったんだろう。挨拶はできたのに。たった一言の雑談が、どうしてあんなに難しいんだろう。
でも、少し落ち着いてから思った。たぶん私は「話す内容」じゃなくて、「感じのいい人でいること」に体力を使っていた。
世の中にいる“普通のコミュ力の人”って、会話してるんじゃなくて、空気を整えてるのかもしれない。相手のため、というより、その場を角が立たない形にするために。
そして今日の私は、その整える作業をサボりたかった。
サボりたかったくせに、サボった自分を後から責める。器用じゃない。
読者のあなたも、たぶんある。「別に嫌いじゃない人なのに、今日はうまく笑えない日」。わかる…。そういう日は、自分の不機嫌が相手に漏れた気がして、勝手に一人で反省会を開いてしまう。
夕飯は、冷蔵庫にあった野菜で適当にスープを作って、白ごはんと一緒に食べた。丁寧でもなんでもない。だけど湯気が出るだけで少し救われる。食べながら、さっきのエレベーターのことを反芻して、また小さく落ち込んで、でも途中で「いや、今日はこれ以上、自分を叱らない」と決めた。
気づいたのは、立派な学びとかじゃなくて、もっと小さい違和感。
私は、他人と関わるときに「いつも一定の私」でいようとして、無理してる。元気な日も、疲れた日も、同じテンションでにこにこできる人でいたい。でも、そんなわけない。そんなわけないのに、できない日に“できなかった自分”だけを採点してしまう。
今日のささやかな変化は、たぶんここ。
「今日は喋れない日だった」で終わらせてみること。理由を立派に説明しなくても、改善策を考えなくても、とりあえず終わらせる。反省会を延長しない。明日の自分に、ほんの少しだけ余白を残す。
さて、明日もし同じ人に会ったら、私はちゃんと「寒いですね」って言えるかな。
それともまた、ボタンの数字を見つめる魚になるかな。どっちでもいいけど——あなたは、今日はどんな“小さな引っかかり”を抱えたまま眠りますか。






