「今日は自分を甘やかす日」と言いながら、たぶん私は、休んでいるというより、少しずつ自分への期待を下げていた

今日は朝から、部屋の空気がなんとなく重かった。冬の終わりみたいな、でも春が来たとも言いきれない曖昧な寒さで、カーテンを開けても光がやさしくない日ってある。
明るいのに、気分はあまり持ち上がらない、あの感じ。洗濯は昨日のぶんが干しっぱなし、シンクにはマグカップがふたつ、スマホには返していないメッセージが三件。
急いでいるわけでもないのに、何かに追われているみたいな気持ちだけが、朝からずっと薄くまとわりついていた。
こういう日、私はわりとすぐに「今日は自分を甘やかす日」にする。
コンビニでちょっと高いアイスを買ってもいいし、掃除は明日に回してもいいし、夜ごはんが納豆ごはんだけでも誰にも怒られない。大人の一人暮らしは自由だし、その自由に何度も助けられてきたのも本当だと思う。
でも今日、スーパーの総菜コーナーでカゴを持ったままぼんやりしていたとき、急に変なことに気づいた。
疲れているから甘やかす、のはわかる。でも私はここ数年、疲れていない日ですら、なんとなく「今日はもういいか」を選び続けてきた気がする。しかもそのたびに、「自分を大切にしてるだけ」と、ちょっときれいな言葉で包んできた。
それって本当に甘やかしだったんだろうか、と、パックのだし巻き卵を見ながら思った。
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たとえば、帰宅してすぐメイクを落とさずにベッドに寝転ぶこと。返信を後回しにしたまま、動画を一本、もう一本と見てしまうこと。
やろうと思っていたことを、明日の自分にそっと渡してしまうこと。どれも小さい。小さいからこそ、ちゃんと反省するほどでもないし、誰かに注意されるようなことでもない。
けれど、今日の私は、総菜コーナーの前でその「小ささ」が少しだけ怖くなった。
本当は、ちゃんとお味噌汁くらい作れたと思う。
五分もあれば、冷蔵庫の豆腐とわかめでどうにかなったはずだし、溜めていた洗濯物だって、畳むだけなら十分もかからなかったと思う。なのに私は、しないことを選んだ。しかも、ただしないだけじゃなくて、「今日は自分を甘やかす日だから」と、いちいち理由までつけて。
なんだろう、この感じ、と思った。
怠けていると言いたいわけじゃない。根性論にしたいわけでもない。
ただ、自分をいたわるための言葉を使いながら、実は自分との約束を薄く破っている感じがしたのだ。しかもそれを何回も繰り返しているうちに、「私はこれくらいできなくても仕方ない人」という設定を、自分の中で静かに育ててしまっていた気がした。
わかる……疲れてるときって、ちゃんとした休み方より、手っ取り早く自分に許可を出すほうが楽なんだよね。
今日は、コンビニのカフェラテひとつで、自分のごまかしに気づいてしまった

夕方、結局お惣菜だけじゃ足りない気がして、家の近くのコンビニに寄った。いつもなら一番安いコーヒーにするのに、今日は大きいサイズのカフェラテと、ついでにチョコの乗ったクッキーまで買った。
レジでお金を払っているとき、頭の中で自然に「まあ今日は甘やかす日だし」が流れた。もう癖みたいに。
でも、その瞬間、ふと変な引っかかりがあった。
今日の私は、そんなに傷ついていたっけ。そんなに頑張っていたっけ。
もちろん、日々いろいろある。仕事も将来も人間関係も、いちいち口に出さないだけで、ずっと小さく重い。でも、今日コンビニで買ったその甘さは、癒やしというより、少しだけ“考えなくて済む口実”に近かった。
家に帰って、クッキーを食べながら、そのことを認めるのが少し嫌だった。
自分を甘やかしているつもりで、実際には、自分を雑に扱っているだけのときがある。たとえば、眠いから早く寝る、は優しさだけど、眠いからメイクも落とさず全部放置して寝る、は少し違う。
気力がないからごはんを簡単にする、は現実的だけど、気力がないから何もかも「もういい」で済ませ続ける、は、あとで自分をじわっとしんどくさせる。
この違いって、外から見たらほとんどわからない。たぶん自分でも、すぐには見分けがつかない。でも、心の奥ではちゃんとわかっているのだと思う。だからこそ、ちょっとした違和感が残る。甘いものを食べたのに、ちゃんと満たされた感じがしない夜があるのは、そのせいかもしれない。
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ここ三年くらい、私はたしかに自分を甘やかしてきた。忙しい日も、落ち込んだ日も、面倒くさい日も、「今日は無理しない」を選んできた。昔の私は逆に頑張りすぎるほうだったから、その反動もあったと思う。
ちゃんとしなきゃ、きれいでいなきゃ、空気を読まなきゃ、好かれなきゃ、置いていかれないようにしなきゃ。そうやって力を入れ続けたあとに来る「もう知らない」は、ある意味、必要な反抗期みたいなものだった。
だから、自分を緩めること自体が悪いなんて全然思わない。たぶん、当時の私には必要だった。
ただ、今日やっと少しわかったのは、休むことと、自分への期待を下げることは、似ているけれど別物だということだった。
休むときって、本当は少し回復する。全部は無理でも、呼吸がしやすくなるとか、明日の朝が少しだけ軽いとか、そういう小さな戻り方がある。
でも、自分への期待を下げるための“甘やかし”は、その場では楽でも、あとから自分を静かにがっかりさせる。「またできなかったな」が増える。しかもそれを「まあ仕方ないよね」で包むから、傷は浅いまま何度も残る。
これ、たぶん私は今まであまり言葉にしてこなかった感情だと思う。自己否定ほど強くはないし、後悔というほどドラマチックでもない。ただ、自分に対する信頼が、ほんの少しずつ薄くなる感じ。派手じゃないのに、地味に効いてくるやつ。
そして厄介なのは、それが“自分を大切にする言葉”の顔をして近づいてくることだと思う。
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だからといって、明日からストイックに生きます、みたいな話では全然ない。たぶん私はまた言うと思う。「今日は自分を甘やかす日」って。カフェラテも飲むし、コンビニのデザートも買うし、洗濯物を畳まない日も普通にある。
でも、今日ひとつだけ、自分の中で変えたいことがあるとしたら、その言葉を使う前に、ほんの少しだけ立ち止まることだ。
これは休息なのか、それとも、あとで自分をがっかりさせる先送りなのか。
これは自分に優しいのか、それとも、自分を雑に扱っているだけなのか。
明日の自分が少し楽になるのか、それとも、少しだけ重くなるのか。
その三つを、一秒でいいから確かめたい。
たとえば、今日の私なら、総菜を買うのはよかった。でも、お味噌汁だけ作る、でもよかったのかもしれない。クッキーを食べるのもよかった。でも、その前に床に落ちていた部屋着を椅子にかける、くらいはできたのかもしれない。全部やるか、全部やらないか、じゃなくて、自分を雑にしない程度に甘やかす。その加減を、もう少し覚えたいと思った。
大人になると、誰も生活を叱ってくれない。だから自由だし、その自由がありがたい日もある。でも同時に、自分の暮らしを少しずつ形づくっているのも、結局は自分の小さな選択なんだと思う。甘やかすことは悪くない。ただ、その甘やかしが、いつのまにか「私はこれくらいでいい」に変わっていないかだけは、ときどき見てあげたい。
今夜もたぶん、完璧には片づかないまま眠ると思う。マグカップはひとつ洗って、もうひとつは朝かもしれない。それでも今日は、何もかもを“優しさ”という名前で流さなかっただけ、少しだけ違う。
自分を甘やかすことと、自分を見放さないこと、その境目って、案外わかりにくい。
あなたの「今日はもういいか」は、ちゃんと休めるほうの言葉になっていますか。





