首掛けエプロンがある夜だけ台所に立てる理由と静かな自炊習慣

夜のキッチンは、昼間より少し広く感じる。
冷蔵庫のモーター音だけが一定のリズムで鳴っていて、窓の外は真っ黒なのに、どこか遠くの道路の音がかすかに流れ込んでくる。時計を見ると22時を少し過ぎていて、夕飯というには遅い時間なのに、私はようやくフライパンを出したところだった。
今日はうまくいかなかった日だった。
仕事で小さな言い間違いをして、笑ってごまかしたけれど、帰りの電車の中で何度も思い返してしまった。誰も気にしていないはずなのに、自分の中では何度も再生される。そんな日は、帰宅してすぐ料理を始める気力がなくて、ソファに沈み込んでスマホを眺める時間だけが伸びる。
気づけばこんな時間で、空腹と自己嫌悪が同時にやってきて、私はようやく立ち上がった。
流しの横にかけてある首掛けのエプロンを手に取る。
布が少し冷たくて、指先にさらっとした感触が残る。
これを買ったのは、ほんの数日前だった。
首にかけるだけなのに

正直、エプロンなんて何でもいいと思っていた。
汚れれば洗えばいいし、安ければそれでいいし、料理上手に見せたいわけでもない。だけど、なぜかあの日は、ネットの画面を何度もスクロールしながら、布の質感や色を真剣に見比べていた。
この首掛けエプロンは、余計な装飾がなくて、少し厚めの生地で、肩ひもがクロスしないタイプだった。首にかけるだけ。シンプルすぎるほどシンプルなのに、商品ページの写真に写っている人が、やけに落ち着いて見えた。
生活が整っている人の空気。
それが欲しかったのかもしれない。
エプロンを首にかけると、布の重さがすとんと落ちて、胸元に静かに広がる。その瞬間、私は「料理をする人」になる。さっきまでソファで丸まっていた自分と、ほんの少しだけ切り替わる。
でも今日は、その切り替えがうまくいかなかった。
フライパンに油をひいても、音がいつもより遠く感じる。野菜を切る手も、どこかぼんやりしている。頭の中ではまだ昼間の失敗が再生されていて、包丁のリズムがそれに合わせて乱れる。
エプロンはちゃんとそこにあるのに、私の気持ちだけが追いつかない。
布は黙っている
不思議だと思う。
こんなに近くで体に触れているのに、エプロンは何も言わない。
「大丈夫」とも言わないし、「気にしすぎ」とも言わない。ただ首にかかって、重さを分け合うみたいに存在しているだけ。だからこそ、私は勝手に意味を与えてしまう。
この布をつけている間は、ちゃんと生活している人でいられる気がする、とか。
料理をしている自分は、少しだけまともだ、とか。
でも今日は、炒め物の味付けを間違えた。
塩を入れすぎたことに気づいた瞬間、フライパンの前で立ち尽くした。取り返しはつくはずなのに、そのまま火を止めてしまった。うまくいかなかった日の延長みたいで、笑えなくなる。
首元の布に視線を落とす。
新品のエプロンはまだ汚れていない。
私は、このエプロンを汚さないように料理していたのかもしれない、と思った。はねた油がつくのが嫌で、動きが小さくなっていたのかもしれない。汚れる前提のものなのに、きれいなまま保とうとしていた。
それって、今日の自分と似ている気がした。
失敗しないように、余計なことを言わないように、小さく動いていたら、結局うまくいかなかった日。
エプロンは、汚れてこそ役目を果たすのに。
私はまだ、それを受け入れるところまで行けていない。
炒め直した野菜を皿に移して、キッチンの椅子に座る。味は微妙だった。食べられないわけじゃないけど、満足でもない。その中途半端さが、今日の一日を象徴しているみたいで、少しだけ笑えてしまう。
エプロンのポケットに手を入れると、空っぽだった。
何か入れておけばよかった、と思う。
メモでも、飴でも、レシートでも。
生活のかけらみたいなもの。
空っぽのポケットは、余白みたいで、少し怖い。
まだ何も入っていない未来みたいで。
でも同時に、何を入れてもいい自由さでもある。
私はたぶん、整った生活に憧れながら、散らかったままの自分を手放したくもない。きれいなエプロンを着て、完璧に料理をしたい気持ちと、適当でいたい気持ちが同時にある。
どっちが本音なのか、まだ決めなくていいのかもしれない。
首からエプロンを外すと、急に体が軽くなる。
その軽さが少し寂しい。
布一枚なのに、役割を預けていたんだと思う。
ちゃんとする自分を、あの布に任せていた。
洗い物を終えて、エプロンを元の場所にかける。
キッチンの小さなフックに揺れているそれは、さっきと同じ形なのに、もう少しだけ私に近づいた気がする。
汚れていないのに、今日の空気を吸い込んでいる。
明日はもう少し上手に料理できるのか、
それとも同じように塩を入れすぎるのか、
今の私にはわからない。
ただ、首にかけるだけで始まる時間があることだけは、少し心強い。






