ウニにイクラにマグロ……「好き」を選ぶだけの日を、ちょっとだけ丁寧にしてみる

雨上がりの朝、玄関のドアを開けた瞬間だけ、空気がほんの少しだけぬるくて、「あ、季節が動いた」と思った。ベランダの手すりに残った水滴が、やけにきれいで、でもそれを“きれいだ”と感じる余裕がある自分に、逆に驚いた。
最近の私は、余裕があるふりだけ上手くて、実際はずっと小さく焦っている。焦りって、音がしないのにうるさい。頭の中に、薄いノイズがずっと鳴ってるみたいなやつ。
駅までの道、コートのポケットに入れっぱなしだったレシートがぐしゃっと鳴って、なんだか自分の生活まで雑に折りたたまれている気がした。財布の中の小銭も、レシートも、期限切れのポイントカードも、全部「後で整えよう」と思って放置してきたもの。
私はこういう“後で”が溜まると、心も一緒に散らかるタイプで、今日も、朝からその散らかりが目に見える形で出てきてしまって、ちょっとだけ落ち込んだ。
コンビニで温かい缶コーヒーを買いそうになって、やめた。
別に節約したいわけじゃない。カフェインが悪いとか、そういう正解を振りかざしたいわけでもない。
ただ、こういう「なんとなくの買い物」が続くと、私は「なんとなくの自分」になっていく気がして怖かった。ちゃんとした理由がなくても、自分の生活を、自分で選びたい。
こういう小さい「やめた」が増えていくと、私はたぶん、少しだけ大人になれるんだと思う。…たぶん。気分はいつも置いてけぼりだけど。
今日の小さな出来事は、昼休みに回転寿司へ入ったこと。ほんとは一人で外食って、いまだにちょっと緊張する。カウンター席で、隣の人のスマホ画面がちらっと見えたら嫌だし、店員さんに「お一人様ですか?」って聞かれると、当たり前のことなのに胸がきゅっとなる。
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それに、ひとりの外食って、誰にも急かされないぶん、逆に“自分の判断”から逃げられない。何を頼むか、どれくらい食べるか、デザートをつけるか、やめるか。全部、自分が決める。
その自由がありがたい日もあるけど、今日は午前中の仕事が少しだけうまくいかなくて、頭の中がずっと「リカバリーできる?」「今の言い方まずかった?」でいっぱいで、決める力が弱っていた。家に帰ってからの自炊の気力まで先に溶けていきそうだったから、えいっと暖簾をくぐった。
寿司って、みんな好きだよね。ウニにイクラにマグロ。サーモン。えんがわ。たまご。
「美肌にいい」みたいな話もよく見る。魚は良質なたんぱく質や脂質が…とか、海藻はミネラルが…とか、たしかにそういう視点もある。
でも今日はそこを主役にしたくない。肌のことって、どうしても“ちゃんとしなきゃ”に寄ってしまうし、私は今、ちゃんとできない日の自分を、あんまり追い詰めたくない。
だから今日は、同じ“ネタ選び”でも、肌じゃなくて「気分」と「生活の手触り」に注目してみることにした。栄養は“正しさ”じゃなくて、今日の私を支える“道具”くらいの距離感で。…こういう言い訳をしながら食べるのが、いちばん私らしい。
(ここから、私の昼休みの短い記録。時計の針が進むたび、ちょっとずつ気持ちが変わっていった話。)
1)最初の一皿が、その日の「心の音量」を決める気がした

席に座って、まずお茶を注いだ。湯気が立つのを見ているだけで、肩が少し下がる。こういう瞬間、私の生活はまだ壊れてない、と思える。
そして最初に流れてきたのはマグロ。つい取った。王道だから、間違いない気がして。
赤身って、脂が少なくて、口の中がすっと静かになる感じがある。あの“落ち着く”感じって、栄養の話をするなら、たんぱく質や鉄のイメージが関係してるのかもしれないし、単純に噛むリズムが整うからかもしれない。私の中では、「ちゃんとした自分に戻れる味」だった。
不思議なんだけど、ミスした直後って、自分の価値まで下がった気がしてしまう。仕事の評価と、人としての評価を勝手に一緒にしちゃう。
わかってる。そんなの、違う。
でも、わかっててもやっちゃう。わかる…って人、きっといるよね。
だからマグロを口に入れた瞬間、「あ、私はまだここにいる」って思えたのが、ちょっと救いだった。
二貫目は、同じマグロでも漬けを選んだ。甘じょっぱいタレが、ちょっとだけ“自分を甘やかす”方向に背中を押してくれる。
私は普段、甘やかすって言葉に罪悪感がくっついてる。「怠け」とか「弱さ」とか、そういう単語が勝手に後ろから追いかけてくる。
でも、漬けマグロのあの安心感って、「サボっていい」じゃなくて「整えていい」なんだと思った。整えるって、怠けじゃない。むしろ、ちゃんと生きるための作業。
2)イクラは“ごほうび”じゃなくて、「今日はここまででいい」の合図だった

次に取ったのはイクラ。キラキラしてるやつ。
私は昔から「ごほうび」が下手で、何か達成したらごほうび、というより、達成できない自分に罰を与えがちだった。甘いものを我慢するとか、夜更かしをして自分を削るとか、そういう変な方向で帳尻を合わせようとする。
それって結局、未来の自分にツケを回してるだけなのに、当日の私は「ちゃんとした気がする」からタチが悪い。
でもイクラって、口の中ではじけて、塩気と旨みが一瞬で広がって、すぐ消える。
その短さが、今日はちょうどよかった。
「この一粒で、今日はここまででいい」って言われたみたいで、胸の奥の焦りが少しだけほどけた。
魚卵には脂質やビタミン類、ミネラルが含まれることが多い、みたいな話もあるけど、私は今日、数字より“合図”がほしかった。頑張りすぎる前に、止まる合図。
イクラの後、私はいつもなら勢いで「サーモン!」「えんがわ!」と脂の波に乗ってしまう。脂が悪いわけじゃない。ただ、勢いで食べると、私は気持ちも勢いで動いてしまって、あとから反動が来る。
だから今日は、間に「いか」を挟んだ。白くて、静かなやつ。噛むと甘みが出てくるやつ。
なんでも白黒つけたがる私にとって、「いか」のグレーさってちょうどよかった。派手じゃないのに、ちゃんとおいしい。
私の人生にも、こういう“派手じゃないけど良い日”がもっとあっていいはずなのに、なぜか私はいつも、派手な正解を探してしまう。
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そして、ウニ。
ほんとは最初から食べたかったのに、いきなりウニを頼むのって、ちょっと恥ずかしい気がして、後回しにしてた。誰に見られてるわけでもないのに、「贅沢してると思われたらどうしよう」とか、意味のわからない心配をしてしまう。
これ、私の中の“節約正義”みたいなやつが暴れてる。たぶん、昔どこかで刷り込まれた「女が好きなものを選ぶと、わがままに見える」みたいな空気も、まだ残ってる。
一人暮らしって自由なのに、自由だからこそ、判断の責任が全部自分に返ってくる。
ウニ一貫に数百円を出すのも、仕事で言い返せなかったのも、洗濯物を畳んでないのも、全部「自分が選んだ」ことになる。
その重さがたまにしんどくて、私は「無難な選択」に逃げたくなる。赤身、サーモン、たまご、みたいな。
“無難”って、悪い言葉じゃない。でも、無難が続くと、自分の輪郭が薄くなる気がする。
今日は、ウニを取った。
口に入れた瞬間、海の甘さがふわっと広がって、「あ、これが好きだった」って思い出した。
誰かに褒められるためでも、正しい生活を送るためでもなく、ただ好きだから選ぶ。
そのシンプルさが、今の私には新鮮だった。
ここでやっと、今日いちばん言いたくなかった本音が浮かんだ。
——私、最近「失敗しないこと」にばっかり力を使って、「好き」を選ぶ力が弱ってる。
こんなこと、誰にも言ってない。言ったら弱い人みたいに見えそうで、いや、実際弱いんだけど、弱いって自分で認めるのが一番こわい。
寿司のネタで“何に効く”とか、そういう話から、ずいぶん遠くに来てしまった。
でも、こういう遠回りが、私の日常のリアルだと思う。たんぱく質だの脂質だのという言葉より、今日の私がどんな気持ちで食べたかのほうが、たぶん今の私を作ってる。
実は、ウニのあとに「しめさば」も取った。酸味があるやつ。
しめさばって、ちょっと尖ってる。好き嫌いが分かれるし、好みを言うとキャラが出る。
私はその“尖り”が怖くて、普段あんまり選ばない。でも今日の私は、しめさばを選べた。
自分の好みを表に出すのって、思ってる以上に体力がいる。特に、職場で人間関係に気を遣っているときは、「好み」っていう柔らかいものほど守れない。
しめさばの酸味が、口の中でキュッと目を覚まさせて、「このくらいの主張なら、してもいいんじゃない?」って言われた気がした。
後半は、今日の小さな気づき。
店を出るとき、レジ横のガチャガチャに目が止まって、昔なら「これくらい…」って回してたと思う。かわいい小物に弱いし、疲れてるときほど、手軽な“喜び”に飛びつきたくなる。
でも今日は回さなかった。代わりに、帰り道のスーパーで、明日の朝に食べるバナナと、味噌汁用のわかめを買った。
すごく地味。映えない。
でも、私の中ではちょっとした革命だった。
ウニを選べたのに、ガチャは選ばない。
「好き」と「勢い」を、やっと分けられた気がした。
好きは、ちゃんと残る。勢いは、後で虚しくなる。
この違いに気づけたのが、今日のささやかな変化だった。
家に帰って、コートを脱いで、いつもなら床にぽいっと置いてしまうところを、今日はハンガーにかけた。たったそれだけなのに、部屋の空気が少しだけ整う。
今日の私は、寿司で“選ぶ練習”をしたんだと思う。無難に流されるんじゃなくて、好きと必要を見分ける練習。
完璧にはできない。明日にはまた、レシートが増えて、言い返せなかった自分を責めて、コンビニで「なんとなく」を買ってしまうかもしれない。
それでも、今日のウニとしめさばの感覚は、たぶん残る。
締めに、ひとつだけ余韻を残しておく。
明日、また仕事でうまくいかない瞬間があっても、私は回転寿司のカウンターでウニを選んだ自分を思い出せる。
そのとき私は、何を“無難”にして、何を“好き”として選び直したいんだろう。






