仕事に向かっている時だけ心が静かになる理由を、今夜ひとりで考えてみた

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幸せな女性
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仕事をしている時が一番幸せ、って言うと少しだけ後ろめたい

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今朝は、窓の外が白っぽくて、空の色がちゃんと決まらないまま時間だけが進んでいく感じだった。駅までの道はいつもと同じなのに、吐く息だけがやけに目立って、コートの前をぎゅっと閉めても、心のどこかがスースーする。コンビニで買った小さなカフェラテを片手に、改札へ向かう人たちの背中を眺めながら、「今日も、ちゃんと働く日だ」と思った。

それは私にとって、たぶん、いちばん安心できる合図だ。

仕事が好き、と言うと、なんだか意識高い人みたいに聞こえそうで、普段はあまり言わない。むしろ「疲れた」「やりたくない」っていう言葉のほうが口に馴染むし、そう言っておけば角が立たないことも知っている。だけど、本当のところ、私が一番落ち着くのは、仕事をしている時だ。タスクが並んで、締切があって、やるべきことが明確で、誰かの役に立つ可能性が数字や文章になって目の前に現れて、ちゃんと終わりがある。そういう時間にいると、心の中の散らかった棚が、勝手に整っていく気がする。

今日の小さな出来事は、たぶん誰に話すほどのことじゃない。昼過ぎ、急ぎの資料を仕上げて、上司に送った直後に、取引先から「この部分、意図は合ってます。すごく読みやすいです」と短い返信が返ってきた。ほんの二行。びっくりするくらい軽い文章。でも私は、その瞬間、なぜか息が楽になって、肩がストンと下に落ちた。自分でも笑えるくらい単純で、そんな自分を見られたくなくて、席で小さくガッツポーズをしながら、画面の端に目を落としたふりをした。

誰にも言わなかった本音がある。

「私、今、ここにいていいんだ」

仕事のことで褒められた時に嬉しいのは、もちろん努力が報われた気がするからもあるけど、それ以上に、「ここにいる理由」が一瞬だけ確定するからだと思う。自分の存在が、ふわっとした“人間関係の気配”じゃなくて、具体的な成果として置かれる。誰かの機嫌とか、空気とか、暗黙のルールとか、そういう曖昧なものではなく、ちゃんと形のある“良い”を受け取れる。私はその瞬間に、ようやく自分の居場所を見つけたみたいな気持ちになる。

でもね、ここが今日の主題で、たぶん私が今までブログであまり触れてこなかった部分なんだけど、私はこの「仕事の中にいる時が一番幸せ」という感覚に、少しだけ怖さも感じている。

幸せの場所が、仕事に偏りすぎていることが、時々、薄暗い影みたいに背中にくっついてくる。

「休みの日の私」が、急に頼りなくなる

例えば休日。予定がない日があると、私は一応、前日に「明日はゆっくりしよう」なんて思っている。洗濯して、掃除して、好きなものを食べて、散歩して、ちょっと本を読んで、夜は映画でも観て、という、いかにも丁寧な暮らしっぽい理想のプランを頭に並べる。

でも、現実はだいたいこうだ。

朝起きて、スマホを見て、ベッドから出るタイミングを失って、結局昼前にのそのそ起きて、冷蔵庫の前でぼーっとして、「何食べたいのか」すらわからなくて、部屋の中にいるのに落ち着かなくて、SNSの誰かの充実が目に入って勝手に心がザワついて、意味もなく焦る。何かしなきゃ、でも何したいの、っていう自問自答を繰り返して、結局、夜になって、ああ今日も終わった、って思う。

その一方で、仕事の日は、多少眠くても、多少だるくても、出社してパソコンを開いた瞬間から、頭が勝手に「やるモード」に切り替わる。タスクが私を引っ張ってくれる。何をすればいいか、順番が見える。終わったら次、というレールがある。それが私を安心させる。

…これ、同じように感じたことある人、いると思う。
「休みのほうがしんどい時、あるよね」って。わかる…。

私はそれを、長いこと“怠け”だと思っていた。休みを上手に使えない自分は、生活力がないとか、充実させる能力がないとか、そういうふうに責めていた。でも最近、少しだけ違う角度で考えるようになった。

もしかして私は、休みが苦手なんじゃなくて、“自分だけの時間に責任を持つこと”が怖いのかもしれない。

仕事の時間は、ある意味で、他人との契約の上に成り立っている。やるべきことがあって、評価があって、責任があって、成果があって、ちゃんと「やった」と言える。けれど休みの時間は、誰も評価してくれないし、誰も「それで正解」と言ってくれない。良い休日だったかどうかの判定は、全部、自分がするしかない。私はその自由が、嬉しいより先に、少しだけ重い。

仕事が好き、の裏側にある「逃げ場所」の匂い

幸せな女性

今日、取引先の返信を見て肩が軽くなったあと、私はトイレで手を洗いながら鏡を見た。いつもより目が少しだけ生きている気がして、そこで急に、妙な違和感が湧いた。

「私、仕事でしか、こんな顔しないのかな」

仕事で褒められた時に嬉しい。仕事をしている時が一番幸せ。これは事実。でも、その言葉の裏側に、もうひとつの本音が隠れている気がする。

“仕事をしている時だけは、余計なことを考えなくて済む”

将来のこと。人間関係の距離感。自分の価値。部屋の静けさ。夜の長さ。何かが足りない感覚。何かを追いかけたい気持ちと、追いかけたくない自分。そういう、答えのないものが、仕事の最中だけは少し遠ざかる。私はそれがありがたくて、だから仕事に寄っていく。

つまり私は、仕事が好きというより、仕事が“避難場所”になっている部分がある。

これを認めるのって、意外と難しい。だって「仕事が好きです」って言えば、なんとなく真面目で前向きな人に見えるし、堂々としていられる。でも「仕事がないと落ち着かないんです」って言うと、一気に不安定な人みたいになる。私はそのイメージが怖くて、ずっと前者の顔をしていた。

だけど今日、あの二行の返信で救われた自分を思い出すと、やっぱり正直に言いたくなる。私は、仕事でしか自分の輪郭が出ないと感じる瞬間がある。仕事がないと、私は自分がどんな人なのか、急にわからなくなる時がある。

それって、少し寂しい。少し危うい。だけど、すごく人間っぽいとも思う。

「幸せの場所」を増やすんじゃなくて、分け前を少し変える

じゃあ、どうしたいのか。ここでよくある“前向きな結論”に逃げたくないから、無理に綺麗にまとめない。

仕事を手放したいわけじゃない。仕事を嫌いになりたいわけでもない。むしろ、私は今日も仕事ができて嬉しかったし、褒められてちゃんと舞い上がった。そこは否定しない。

ただ、今日気づいたのは、「仕事が一番幸せ」と思う自分を、全面的に肯定するだけでは、どこかが置き去りになる、ということだった。仕事が幸せならそれでいい、じゃなくて、仕事が幸せであるほど、仕事以外の時間に対する自分の扱い方が雑になっている気がする。休みの日の私を“使いこなせない存在”として責めるのではなく、もう少し丁寧に見てあげないと、たぶん私は、いつか仕事に何かあった時、全部が崩れてしまう。

だから今日、帰り道にひとつだけ小さな行動をした。駅の改札を出たところにある花屋の前で、立ち止まって、300円くらいの小さな花束を買った。別に花が好きなキャラでもないのに。部屋に戻って、コップに水を入れて、その花を挿した。たったそれだけ。

なのに、不思議と部屋の空気が変わった気がした。仕事で救われた私が、仕事以外の場所にも、ほんの少しだけ“自分を置く”練習をしたみたいで、少しだけ安心した。

大きな幸せを増やそうとすると、私はたぶん疲れる。上手に休日を過ごそうとか、趣味を充実させようとか、そういう“正しい生活”を目指すと、きっとまた自分を責める。だから、幸せの場所を増やすんじゃなくて、今ある幸せの分け前を少しだけ変える。仕事が8割なら、7.5割にしてみる。残りの0.5を、花とか、湯気の出るスープとか、部屋の灯りとか、そういう「どうでもいいけど、私が私にしてあげられること」に回してみる。

それくらいの調整なら、私にもできそうだった。

仕事をしている時が一番幸せ。たぶんこの感覚は、すぐには変わらない。むしろ、変えなくていい。でも、その幸せが“逃げ”になっている瞬間があることを、今日の私はちゃんと見つけた。誰にも言わなかった本音を、自分だけには隠さないでおこうと思った。

あなたはどうだろう。
「一番落ち着く場所」が、もし一つだけだとしたら、それは安心?それとも、少しだけ怖い?

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