冷蔵庫を開けた瞬間、ほっとした理由|献立を考えない日をくれたFitDishという選択

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料理のメニューを考える女性
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ちゃんと作れない日が続いた私に、静かに効いた冷蔵おかず宅配FitDishの存在

宅配を受け取る女性

今朝の部屋は、暖房をつけても足元だけが冷たいままで、カーテンの隙間から入る光が白くて、なんだか病院の待合みたいだった。洗濯物を干す気力はあるのに、朝ごはんを作る気力はない、みたいな、やる気の配分がどこか壊れている日ってある。

コーヒーを淹れて、マグを両手で包んで、熱で自分の機嫌を戻そうとするのに、スマホの通知が一つ鳴るだけで、肩がきゅっと上がってしまう。

そんな朝に、宅配便のインターホンが鳴った。タイミングが良いのか悪いのか分からない、あの「ピンポーン」。私はとりあえず笑顔のつもりで受け取って、玄関に置いた段ボールを見下ろして、「あ、これ、今月のFitDish(フィットディッシュ)だ」と思い出した。

大阪ガスが提供している“おかずの定期宅配”で、スマホの“おまかせ診断”に答えると、主菜と副菜の組み合わせが冷蔵のパウチで届くやつ。自分でメニューを選ぶ手間がない、っていうのが売りで、ラインナップは70種類以上あるらしい。

段ボールを抱えて台所に運ぶ途中、廊下で隣の部屋のドアが開く音がして、私は反射的に背中を丸めた。誰かに見られているわけでもないのに、「宅配ごはん届いた人」って思われたくない、みたいな、どうでもいい見栄が出る。たぶん私、こういう小さなところで毎日エネルギーを溶かしてる。

玄関の前で靴下のまま立ち尽くして、「いや別に、食べ物を届けてもらうのは恥じゃないでしょ」って頭の中で言い訳して、それでも心臓だけが軽く早い。

箱を開けた瞬間、冷蔵庫に入れる前から、もうちょっと気持ちが軽くなるのが分かって、私はその軽さが嬉しいより先に、少しだけ恥ずかしくなった。中身は想像よりずっと薄くて、パウチの角がつるんとしていて、冷蔵庫に入れることが前提の“形”をしていた。

冷凍庫に押し込むお弁当とは違って、冷蔵の棚にすっと収まる感じが、なんだか整頓好きな人の家っぽい。しかも、冷蔵で1ヶ月くらい保存できるっていうのが、私みたいに「買ったのに使い切れない」を繰り返す人間には、ありがたいのに怖い。長持ちするものほど、「計画的に食べなきゃ」が発生するから。

それでも、とりあえず入れる。上段の奥に、ぎゅっと寄せられた賞味期限切れギリギリのヨーグルトと、乾いた切り口のレモンと、謎に一袋だけ残っているミックスナッツを、いったん手前に避難させて、パウチの列を作った。

列ができた瞬間、冷蔵庫の中が“管理されてる感じ”になって、私はそこでまた、さっきの恥ずかしさとは別の種類の違和感に刺された。

私は冷蔵庫の中身で、自分の生活の点数をつけてる。そんなの、誰にも言わないし、言いたくもないんだけど。

「ちゃんと食べる」って、誰に見せるためだっけ

料理のメニューを考える女性

今日の小さな出来事は、ただそれだけ。届いたおかずを冷蔵庫にしまって、空いたスペースを見て、しばらく固まってしまった。固まったまま扉を開けっ放しにしてしまって、冷気が逃げていく音がした。

あ、電気代もったいない、って思うより先に、「冷蔵庫の中を見られたくない」という気持ちが勝って、慌てて扉を閉めた。ほんと、どこまで他人の視線に弱いんだろう。

うちの冷蔵庫、いつも何かしらでぎゅうぎゅうで、しかも中身の半分は「いつか使う予定だった」食材でできている。半端に残った野菜、使い切れない調味料、いつの間にか賞味期限が切れているチーズ。

そういう“自炊してる感”の残骸でパンパンになっているのに、今日は違った。FitDishは冷蔵パウチで、長持ちするって説明にあって、たしかに薄いパウチがすっと並ぶと、冷蔵庫が急に整って見える。

整って見える。ここが私の弱いところで、整っていると「ちゃんとしてる私」を演出できる気がしてしまう。別に誰も見てないのに、冷蔵庫の中でさえ、他人の目を想像してしまう。

――ちゃんとした大人なら、自炊して、栄養バランスも考えて、毎日あたたかいごはんを食べるでしょ、っていう、見えない規範みたいなやつ。

その後、手を洗って、仕事のパソコンを開いて、午前中のオンライン会議に入った。画面の向こうの人はみんな、“ちゃんとして見える”服を着ていて、背景も整っていて、私は自分の部屋の散らかりをカメラの外に押し込めながら、相槌だけうまく打つ。会議が終わってミュートを外した瞬間、急に胃が鳴って、自分の生活が薄っぺらい音を立てた気がした。

昼に冷蔵庫を開けたら、昨日買ったコンビニのサラダが出てきて、そこでまた軽く絶望した。ちゃんと食べたいと思って買ったはずなのに、買った時点で“ちゃんとした”気になって、食べるところまで辿り着いていない。

こういうとき、私の中の意地悪な声が言う。「結局、あんたは自炊が続かない人だよ」って。

だから、冷蔵庫がスッキリしているのに、私はなぜか落ち着かなかった。私は「ラクを買った」って思った瞬間、どこかで罰点がついた気がしてしまった。これが、今日、誰にも言わなかった本音。便利さって、私の中ではまだ“正当化が必要なもの”になっている。

「わかる…」って言ってくれる人がいるなら、たぶん同じように、ラクをするときに罪悪感が先に出てしまう人なんじゃないかなと思う。わかる…、ラクしたいのに、ラクした自分を先に責めちゃうやつ。

ちなみに料金は、パック数で変わる方式で、10パックから40パックまで選べる、みたいな情報を見かけた。1パックあたり400円台くらいで、まとめると少し安くなる仕組みらしい。

こういう数字を見て、私は「意外と現実的かも」と思う一方で、すぐ「でも私はこれを続けるに値する生活をしてる?」って、また変な査定を始める。食費の話なのに、なぜか人生の審査みたいになるの、笑える。

午後、冷蔵庫の前で、使いかけの野菜を捨てた。しなしなになった小松菜と、半分だけ残ったにんじん。捨てる瞬間、胸がちくっとして、「こういう無駄をなくすために宅配がいいんだよ」と理屈では分かるのに、捨てている自分が“だらしない証拠”みたいに思えてしまう。たぶん私は、食材を捨てる罪悪感と、宅配に頼る罪悪感を、同じ棚に置いている。どっちも「ちゃんとできない私」の証拠として。

でも、本当は、ちゃんとできない日があるのが普通なのにね。

便利さの正体は「時間」じゃなくて「余白」だった

FitDishのいいところって、単純に“時短”だけじゃない。冷凍みたいに解凍の手間が少なくて、レンジで1〜2分くらいで食べられる、っていう便利さは分かりやすい。 でも、今日私がいちばん強く感じたのは、時間が増えたというより、気持ちの“余白”が生まれたことだった。

いつもなら、夕方に仕事が終わるころには、頭の片隅で「今日なに食べる?」が勝手に鳴り始める。献立を考える、買い物に行く、調理する。どれも大したことないようで、積み重なると、地味に心を削ってくる。

大阪ガスの説明でも、その3つの手間を丸ごとサポートする、って書いてあったけど、まさにそれ。

夕方、仕事のタスクが予定より押して、チャットの通知が連打みたいに鳴った。そういう日って、頭の中の言葉が荒くなる。「早くして」「なんで今」「無理」。

声に出さないだけで、自分に対しても他人に対しても、ちょっと乱暴になる。帰宅があるわけじゃないのに、在宅でも“帰る場所がない”みたいな疲れが出るの、不思議。

その瞬間に「今日のごはんどうしよう」が来ると、私はだいたい負ける。最悪、白米だけ炊いて納豆で済ませるか、デリバリーに頼んで罪悪感で胃が痛くなるか。どっちも、食べ終わったあとに「私、なにしてるんだろう」って気持ちが残る。

でも今日は、冷蔵庫を開けたら、パウチが並んでいる。それだけで、心のノイズが一段落ちた。しかも主菜と副菜の組み合わせで届くから、「メイン足りない」「あと一品ほしい」みたいな、あの微妙な穴にちょうど刺さる。

メニューを“決めない”って、こんなに楽なんだ、と、遅れて気づく。

たぶん私にとって献立を考える時間は、単なる家事じゃなくて「自分を裁く時間」になっていた。ちゃんと栄養、ちゃんと節約、ちゃんとバランス、ちゃんと映える、ちゃんと続く、ちゃんと、ちゃんと、ちゃんと。決めなくていい、っていうのは、その裁判が今日は休廷します、みたいな感じだった。

温めている間の1〜2分、私は洗い物をした。ほんの数枚の皿を洗って、キッチンの水滴を拭いて、それだけで“明日の自分がちょっと楽”が積み上がる。余白って、派手なことを入れるためじゃなくて、こういう小さな予防線を張るためにあるのかもしれない。

で、ここからが厄介なんだけど、余白ができると、私はその余白に「ちゃんとしなきゃ」を入れたくなる。浮いた時間で掃除をしよう、運動をしよう、スキルアップしよう、未来のために何かしよう。余白が、すぐ“課題”に変換される。なんかもう、息つく暇もない。冷蔵庫の奥が整った瞬間に怖くなったのは、たぶんこれだ。

余白=やらなきゃいけないことの入れ物、になっている自分に気づいて、ちょっと引いた。

私は「外注」を上手に使えないタイプだった

料理のメニューを考える女性

もうひとつ、今日だけの違和感があった。私は“食事の外注”が、どこかで「負け」に見えていたこと。

仕事の外注や家事代行は、言葉としては受け入れられているのに、食事だけは、まだ「自分でやるべき」に寄っている気がする。たぶん、食事って、体をつくるものだから、ちゃんとしなきゃって思いやすいし、誰かに頼ると“自分の生活が崩れた”みたいに感じてしまう。

でも、実際のところ、私の生活は、すでにいろんな外注でできている。電気もガスも水道も、私は自分で作っていないし、スマホだって、駅だって、コンビニだって、ぜんぶ誰かの仕組みの上に立っている。なのに、食事だけは「自分の努力」で守ろうとして、守れないと落ち込む。ルールが厳しすぎる。

食べながら、ふと、母から昔言われた言葉を思い出した。「一人でもちゃんと食べなさい」って。優しい言葉のはずなのに、私はそれを“命令”みたいに受け取ってしまって、今でも自分で自分を追い立てる材料にしている。母は悪くない。私の解釈が、ちょっと不器用なだけ。

FitDishは“おまかせ診断”で、好みやアレルギーなどを入力すると、毎月セレクトしてくれる。食べた後の評価で、どんどん自分にフィットしていく、って。 つまり、私の「こういうのが助かる」をデータとして預けて、向こうが調整してくれる。ここに、私は少し抵抗があったんだと思う。自分のことを他人(というかサービス)に説明して、任せる、って、想像以上に勇気がいる。

人に頼るのは怖いけど、仕組みに頼るなら、まだ耐えられる。……そんな自分のずるさも、ちょっと可愛いと思ってしまうのが、さらにずるい。

今日、段ボールを開けたときに恥ずかしくなったのは、たぶん「私はもう、一人で全部を回せる人じゃない」って認めるみたいで、ちょっと嫌だったからだ。見栄だね。自分でも笑う。でも、冷蔵庫に並んだパウチを見て、負けた感じより先に、「あってよかった」って思ってしまった。公式の説明にも、その言葉が出てきて、なんか悔しいくらいそのままだった。

食後、パウチのゴミを捨てるために袋を結んだとき、私はようやく、朝の恥ずかしさが少しだけほどけているのに気づいた。外注したこと自体じゃなくて、外注した自分を“裁いていたこと”がしんどかったんだと思う。外注は、生活の放棄じゃなくて、生活の継続のための手段、って言葉にすると簡単だけど、実感として受け入れるのは、わりと時間がかかる。

ここで起きた、ささやかな変化は、外注=手抜き、じゃなくて、外注=自分の生活を“守る選択”として見てもいいのかもしれない、っていう、ほんの小さな視点の切り替えだった。前向きに言い切るほど強くはないけど、今日の私は、そこに一歩だけ足をかけた感じがする。

夜、レンジで温めたおかずを食べ終えて、私は「これで浮いた余白、何に使おう」って反射的に考えて、すぐやめた。余白は、埋めなくていい。余白は、余白のままでいい。たぶん私は、そこを練習したいだけなんだと思う。

だから今日は、結論を立てないで終わりたい。私はまだ、ラクを受け取るのが上手じゃない。でも、冷蔵庫の奥にできた余白を見て、怖いと思った自分を、少しだけ笑えた。笑えた、っていうのが今日の小さな勝ち、みたいなものかもしれない。

明日、冷蔵庫を開けたときも、同じようにちょっと怖くなるのかな。それとも、少しだけ“ラクを受け取る”のが上手になっているかな。あなたは、余白ができたとき、まず何を詰め込みたくなりますか?

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