受け取りサインのあと、玄関に置いたままのもの

今朝の空は、晴れているのにどこか白くて、窓の外の光が「今日もやることあるでしょ」とだけ言ってくる感じだった。起きてすぐ、電気ケトルのスイッチを押して、マグカップを洗いながら、シンクの角に溜まった水滴を指でぬぐう。こういう小さな動作だけは丁寧にできるのに、もっと大きいことになると途端に雑になるの、私の悪い癖だと思う。
洗濯物を畳むより、洗濯を回すボタンを押すほうが重いし、メールを返すより「返信しなきゃ」の通知を眺めている時間のほうが長い。自分の性格の欠点をちゃんと把握しているのに、改善のほうは一向に進まないところまで含めて、私は今日も私だった。
ピンポンが鳴ったのは、ちょうど髪をひとつにまとめたところだった。モニター越しに映った配達員さんの帽子と、手に持っている細長い箱。私は反射的に「はい」と返事をして、受け取りに出た。玄関のドアを開けた瞬間、冬の空気が部屋の奥まで入り込んで、コートの袖を通すほどでもないのに肩がすくむ。
サインをして、段ボールを受け取って、いつものように「ありがとうございます」と言って、ドアを閉めた。たったそれだけ。なのに、その数秒の間に、私の頭の中は変に忙しくなっていた。
——また買ったんだ。
——でも、これ、必要だったっけ。
——いや、必要とかじゃなくて、なんか…「先に用意しておきたい」気持ちだったんだよね。
——先に用意することで、“私の未来”が少し賢くなった気がしたんだよね。
箱のラベルを見るまでもなく、中身が何かはわかっていた。ドクターシーラボの「アクアコラーゲンゲル エンリッチリフト」。
楽天の公式ショップで、クーポンが出ているタイミングに、何となく指が動いてしまったやつ。ページには「浸透型ヒアルロン酸EX配合」とか「ナイアシンアミドをシリーズ史上最高濃度配合」みたいな言葉が並んでいて、私はそれを読んだ瞬間だけ、未来の自分が少し整う気がした。
“いまの私”が抱えてる雑さとか、詰めの甘さとか、後回しの癖とか、そういうのを全部すっ飛ばして、画面の向こうの「整った私」に近道できそうな感じ。もちろんそんな近道なんて無いのに、こういう時だけは、自分の都合のいい想像力が妙に働く。
だけど今の私は、箱を開けないまま、玄関の隅に置いた。靴箱の横、いつも荷物を置く場所。そこに“まだ開けていない段ボール”が一個増える。増える、という表現がすごく嫌で、でも実際そうだった。
玄関って、部屋の入り口であり出口であり、「私が外に出て行く」場所のはずなのに、最近の私はそこを“未処理のものの待合室”にしている。届いたもの、返そうと思っているもの、いつか処分するつもりのもの。玄関はいつも、未来の私に向けたメモでいっぱいだ。
私の「開封できない」癖が、最近ちょっと増えている
私、買い物は好きなほうだと思う。別に派手な買い方はしないし、ブランド物を衝動買いするタイプでもない。ただ、日用品とか、生活を整える系のものを、必要以上に「先に」買ってしまう。
洗剤の詰め替え、ストックのティッシュ、冷凍庫に入れたままのスープ、そして、開けていない箱。
“先に”が増えると、部屋は安心するはずなのに、心は妙に落ち着かない。安心のために買っているのに、買うほど焦るって、やってることがちぐはぐだ。
今日の段ボールを見て、ふっと思った。
“私、これを開けるのが怖いのかもしれない。”
だって、開けたら「使い始める」ことになる。使い始めたら、続けるかやめるかの話になる。続けたら、変化があるかもしれないし、ないかもしれない。
変化がなかったら、私の選択が間違いだったみたいで、ちょっと痛い。だから私は、開けない。開けなければ、まだ「可能性の箱」だから。
しかも厄介なのは、可能性って、増えるほど嬉しいものじゃないってこと。選択肢が増えすぎると、人は動けなくなるっていうけど、私はまさにそれで、棚の中に可能性を並べて、手を出せなくなる。
たぶんこれ、私だけじゃない。
“買っただけで、少し安心しちゃう”って、わかる人いると思う。
買った瞬間だけ、ちゃんとした人間になれた気がするのに、そのあとが続かないやつ。
(そしてその罪悪感をごまかすために、また何か別の“ちゃんとしたもの”を探してしまうやつ。わかる…って言われたら、ちょっとだけ救われる。)
それに、エンリッチリフトって名前、ずるい。なんか、持っているだけで背筋が伸びそうな響きがある。肌にハリ、とか、うるおい、とか、そういう話はもちろんあるんだけど(公式サイトを見ると、ゲルは水分を抱え込んで皮膜を作って、長時間の保湿ができる、みたいな説明がある)、私が反応したのは、むしろそこじゃない。
“エンリッチ=満たす”って言葉のほうだった。
最近、私は自分の生活が、どこか薄い気がしている。仕事はしている。家賃も払ってる。ごはんも食べてる。お風呂にも入ってる。
なのに、心のどこかが、いつもカサついてるみたいに感じる。
美容の話じゃなくて、生活の手触りの話。私の毎日、ちゃんと湿ってる?
この問いが出てきた時点で、たぶん私は、化粧品じゃなくて“生活の水分”を欲しがっている。
段ボールを開けないのは、もしかしたら、そこに触れたくないからかもしれない。薄いのを認めるのが怖い。薄いと認めたら、補うために何をすればいいか考えなきゃいけない。考えるのが面倒、じゃなくて、考えた末に「何も変えられないかもしれない」って思うのが怖い。
だから私は、今日も玄関に置く。置いたままにして、知らないふりをする。
エレベーター前で会った隣人の一言が、妙に刺さった

今日の小さな出来事は、実は段ボールそのものより、もうひとつ別にある。
午前中、ゴミ出しに行った帰り、エレベーター前で同じフロアの女性とすれ違った。年齢は私より少し上くらい。いつも静かで、会釈だけする人。なのに今日は、私の手に持ったゴミ袋を見て、「寒いですよね、最近」と声をかけてきた。
私は「ほんとですね」と笑って返した。たったそれだけの会話。なのに、部屋に戻ってからも、その一言が妙に残った。
たぶん、私は誰かと話したかったんだと思う。
でも、誰かと話したいって気持ちを、私は“寒い”とか“乾燥”とか、そういう安全な言葉に置き換えてしまう。相手に負担をかけない言葉、相手を困らせない話題。そういうのだけで、私は今日も「ちゃんとしてる人」を演じる。
本音を言うと、私は最近、少しだけ寂しい。婚活の焦りとか、そういう大きな話じゃなくて、もっとみみっちい種類の寂しさ。
一日誰ともちゃんと目を合わせないまま終わる日が続くと、「私って、透明になっていくのかな」って思うやつ。
人に迷惑をかけたくない、と言いながら、実は人に見つけてほしい、みたいな矛盾。私はそういう矛盾を、気づかないふりで飼っている。
隣人の「寒いですね」は、ただの季節の挨拶でしかないのに、私の中で、勝手に“あなたはそこにいるよ”って合図みたいに聞こえてしまった。
だから私は、帰宅してすぐ、玄関の段ボールを見て、また思った。
“私、物を増やしてる場合じゃないかも。”
必要なのは、物じゃなくて、会話の一行かもしれない。ほんの一行で、私の今日が少しだけ実在したから。
ここで、読者が「わかる…」と感じる一文を、ちゃんと置いておきたい。
誰かと話したいのに、話す理由がなくて、天気の話ばかり上手くなるの、わかる…。
「整える」って、たぶん“足す”ことじゃなくて“触る”こと
午後、仕事の合間に、部屋の片付けをしようとした。しようとした、で終わった。結局、床の上に散らかった紙袋をまとめて、ソファの上の服をたたんで、ほんの少しだけ見える床の面積が増えただけ。それでも、ちょっとだけ呼吸がしやすくなった。
“整った部屋”って、見た目の問題じゃなくて、息が吸えるかどうかなんだな、って思った。私の場合は特に。
私はその瞬間、嫌なことに気づいた。
私が欲しかったのは「新しいもの」じゃなくて、「触れられる余白」だったんだ。
段ボールを開けて、瓶を取り出して、フタを開けて、手に取って、使う。そういう行為って、結局は“自分の生活に触る”ことだと思う。
買うだけだと、生活には触れていない。触れていないから、変わらない。変わらないから、また何かを買いたくなる。
…これ、すごく恥ずかしいループだ。
でも今日、エレベーター前で言葉を交わしただけで、私は少しだけ自分の輪郭を取り戻した気がした。
「寒いですね」って、ほんとにどうでもいい会話なのに、そこに“私”がいた。私が相手を見て、相手が私を見て、たったそれだけで、私は玄関の段ボールより少しだけ軽くなった。
私のささやかな変化は、ここだった。
買い物のページに並ぶ「最高濃度」とか「浸透」とか、そういう強そうな言葉よりも、目の前の生活の小さな触感に、ちゃんと戻ろうと思えたこと。
その触感って、例えば、紙袋の持ち手が手のひらに食い込む感じとか、ゴミ袋の結び目がきつくて解けない感じとか、ベッドのシーツが少し冷たい感じとか、そういうどうでもいいことの集合体で、私は今日を生きてるんだなっていう実感。
夜になって、結局私は段ボールを開けた。勢いよくじゃなく、そっと。ガムテープの端を爪で探して、少しずつ剥がす。中から出てきた箱は、想像よりきれいで、つるんとしていた。私はそれを「きれいだな」と思った。
スキンケアの話をしたいわけじゃない。きれいなものを見て「きれいだな」と思える自分が、今日ちゃんと残っていたことが、ちょっと救いだった。
それと同時に、開けた瞬間、私の中の“可能性の箱”は終わった。代わりに、“今日の私の手”が始まった。
このゲルがどうとか、どれくらいハリがどうとか、そういう結論は、今日は言わない。私もまだ、言えるほど使っていないし、たぶんそれを言うと、また別の「ちゃんとした記事」になってしまうから。
ただ、玄関に置きっぱなしの段ボールを見て、私は自分の「開封できなさ」を、少しだけ可笑しいと思えた。
買っただけで安心して、開けるのを先延ばしにして、未来の自分に丸投げして、でも未来の自分って結局、今日の私が作るんだよね、って当たり前のことが、今日はちゃんと身に落ちた。
読者のあなたにも、ありますか。
“買ったのに使えないもの”とか、“始めたいのに始められないこと”とか。
その箱を開けるのが怖いのって、実は中身じゃなくて、「自分が動くこと」だったりしませんか。
私は明日、また何かを先に買いたくなるかもしれない。たぶんなる。私の指は、便利さと安心のボタンを、結構あっさり押す。
でもその前に、一回だけ、今日みたいに“生活に触る”ほうを選べたらいい。
そんなふうに思いながら、ベッドの横に小さな箱を置いたまま、灯りを消す。外は相変わらず寒いし、明日もたぶん忙しい。でも、今日みたいな一行の会話がまたどこかに落ちているかもしれない、と少しだけ思える夜だった。






