毛穴が急に目立つ理由は肌だけじゃない|ストレス肌の静かなサイン

夜のコンビニの明かりって、なんであんなに白いんだろう。二月の風に押されて、私はマスクの中の息を少しだけ熱くして、レジ横の鏡みたいに反射するガラスに、ぼんやり自分を映した。
帰り道の最短ルートをあきらめて、遠回りのほうを選んだのは、家に帰った瞬間に「今日の私」が確定してしまうのが嫌だったからだと思う。確定、とか言うと大げさだけど。玄関の鍵を開けて、靴を脱いで、照明をつけて、コートを掛けて、鏡を見て——その一連の流れの最後に、必ず“肌の状態”が私の気分を採点する。
部屋に戻って、洗面所の蛍光灯をつけた。目の下の影より先に、鼻の頭が目に入る。光が強いと、毛穴っていきなり声が大きくなる。いつもは「まあ、こんなもん」と聞き流せるのに、今日はやけに、黒ずんで見える。
いや黒ずみというより、詰まり。詰まりというより、私の中の何かが詰まってる感じ。鏡に近づいた私は、息を止めて、角度を変えて、また息を止めて、結局ため息をついた。
毛穴はストレスに正直すぎる夜
「毛穴はストレスに正直すぎる」
今日のテーマを決めたのは、たぶんこの瞬間だ。肌が荒れたから、じゃない。荒れた肌を見て、私が急に黙り込む自分に気づいたから。仕事でうまくいかなかったことを、誰にも言っていない。
言うほどのことじゃないし、言ったら負けみたいで。だけど“言わない”って、体のどこかに溜まっていく。私はそれを、胃でも肩でもなく、毛穴に預けてしまうタイプなのかもしれない。
今日は昼の会議で、私が作った資料の一部が、上司の口から「この視点はちょっと違うかも」と軽く言い換えられた。否定じゃない、訂正でもない、ただの言い換え。
なのに私は、心の中で何かがスッと冷えるのを感じた。自分の言葉が“私のもの”じゃなくなる感じ。会議室の空気はいつも通りだったし、誰も傷つけるつもりなんてなかったと思う。
でも、そういうときに私が持ち帰るのは、怒りでも悲しみでもなく、「説明できない小さな恥ずかしさ」だったりする。帰りの電車でスマホを見ていても、ふとした隙にその恥ずかしさが浮いてきて、指が止まる。息が浅くなる。そういうの、誰にも見せていない。
家に着いて、クレンジングを手に取る前に、私はやっぱり鼻を触ってしまった。触ると余計に気になるって分かっているのに、確かめたくなる。皮脂のざらつき。
メイクの残り。マスクの蒸れ。今日の私の“おつり”みたいなものが、指先に集まってくる。指先って、正直だ。正直すぎて、嘘をつけない。嘘がつけないものを、私は鏡の前で眺めてしまう。
たまに、肌トラブルの原因はシンプルだと言われる。睡眠、食事、保湿。たしかにそれは事実で、そうやって生活を整えることが、いちばん近道なのも分かる。でも、毛穴に関してだけは、生活の“正しさ”より、感情の“揺れ”のほうが先に出る気がする。寝た。ちゃんと食べた。スキンケアもした。
それなのに、鼻の毛穴が開いている日がある。逆に、寝不足で適当に過ごしたのに、なぜか肌が落ち着いている日もある。私の毛穴は、健康管理の成績表というより、心の天気予報に近い。
実際、ストレスと皮脂には関係があるらしい。思春期の学生を追った研究で、心理的ストレスが高いほど皮脂分泌が増える関連が示された、という報告がある。肌に出る、というより、肌が出してしまう。自分で止められない形で。さらに、ストレスは肌のバリア機能にも影響しうると言われていて、ヒトの試験のストレス(たとえば試験期間)で、皮膚のバリア回復が遅くなるような知見が紹介されている。なんか、そういう話を読むたびに思う。私が今日うまくいかなかったのは、仕事の資料じゃなくて、心のバリアだったのかもしれないって。
クレンジングをなじませながら、私は昼の会議の場面を、もう一回だけ再生した。上司の声のトーン。隣の席の人のうなずき。自分の口の動き。私が「はい」と言った瞬間に、胸の奥が少しだけへこんだ感覚。
あれは、傷ついた、というより、置いていかれた感じだった。私はいつも“ちゃんとした人”でいたい。感情を出すより、整えるほうが得意。だから、置いていかれた感じを認める代わりに、私は「大丈夫」とだけ言ってしまう。誰に向けてでもないのに。
洗い流して、タオルで水気を押さえる。ここでいつもより丁寧にやると、少しだけ自分に優しくなった気がするのがずるい。化粧水をつけて、乳液をつけて、最後に鼻だけ念入りに重ねる。私は毛穴にだけ、誠実になってしまう。誠実にした分、結果も出てほしい。
そう思うのに、毛穴は“努力”に対しては、意外と無関心だ。むしろ、努力しているときほど、毛穴は拡大鏡みたいに私の焦りを映す。今日だってそう。急に真面目になった私の手の動きを、毛穴は冷静に見ている気がする。「焦ってるね」って。
ストレスが肌に影響する仕組みの話を読むと、ちょっと怖い。たとえば、ストレスホルモンのコルチゾールが、皮膚のアクネ菌に対する受容体の発現を高め、炎症反応を悪化させる可能性がある、という研究報告がある。
つまり、ストレスは“気分”で終わらない。体の側が勝手に、ストレス仕様のスイッチを入れてしまう。私は自分の気持ちを言葉で整理できると思っていたけど、体はもっと先に動いてしまうらしい。
毛穴が正直なのは、私が嘘をついているからじゃなくて、体が生存戦略みたいな顔で働いているからかもしれない。
でも、ここで“原因が分かったから対策しよう”って、すぐに前向きになれるほど、私は器用じゃない。原因が分かると、逆に自分を責めたくなる。「ストレスためたからでしょ」「また溜め込んだんでしょ」って。
分かる、じゃなくて、分かってしまう。毛穴はストレスに正直すぎる、という言葉の裏には、「私がストレスをうまく扱えていない証拠が、顔に出る」という恥ずかしさもある。肌荒れって、誰かの前で泣くよりバレやすい。泣いてないのに、泣いたみたいな顔になる。
それに、ストレスって、必ずしも“嫌なこと”だけじゃない。嬉しい予定が続くときも、私は肌が荒れる。旅行の前日とか、恋愛のLINEが続いている夜とか。
自分の心が跳ねると、体も一緒に忙しくなる。忙しくなった体が、皮脂という形で「ちょっと落ち着いて」と言ってくる。そんな気もする。学業ストレスとニキビの悪化を扱った観察研究もあって、生活要因と並んで心理的ストレスが症状に関係しうることが示唆されている。
私は“学業”じゃなくて“生活”だけど、たぶん同じ。生活の中の小さな圧に、肌が先に気づく。
今日のモヤっとした瞬間は、会議の言い換えだけじゃなくて、その後の私の行動にもあった。帰りの電車で、同僚から「今日の資料、助かったよ」とだけメッセージが来たのに、私はすぐ返せなかった。
嬉しいのに。嬉しい言葉をまっすぐ受け取ると、昼の恥ずかしさが浮き彫りになる気がして。結局、「よかった!」みたいなスタンプでごまかした。ごまかしたあと、胸がちくっとした。
こういう“ちくっ”って、どこに行くんだろう。私が言葉にしなかった分だけ、毛穴に行くのかな。そんな馬鹿な、と思いながら、今日の鼻を見てしまう自分がいる。
なんで毛穴だけ、私の心を暴くんだろう

毛穴って、目立つのが本当に一瞬だ。昨日まで気にならなかったのに、今日だけ急に。逆に、すごく気にしてケアした翌日に、ぽんと落ち着いたりもする。予測がつかない。
予測がつかないものを、私は「管理」したくなる。管理できないと怖いから。管理できないと、また何かを失いそうだから。
でも、毛穴の不確実さって、私の感情と似ている。
私は自分の感情を、いつもは“少し遅れて”理解する。会議中は平気な顔をして、家に帰ってから傷つく。誰かの優しさに、その場では笑って、夜になってから泣きたくなる。感情のタイムラグ。
毛穴のタイムラグ。どっちも、ちゃんと受け止めるには、時間がいる。私はその時間を、焦って飛ばしたくなる。だから、鏡の前で答えを出したくなる。
「これは寝不足」「これは保湿不足」「これはマスク荒れ」。原因に名前をつければ、揺れが止まる気がするから。
でも本当は、止めたくない揺れもある。揺れているということは、まだ諦めていないということだから。仕事のことも、人間関係のことも、自分磨きのことも。
どうでもよかったら、毛穴なんて見ない。毛穴を見て落ち込むのは、私がまだ、ちゃんとしたくて、ちゃんとできなくて、ちゃんとできない自分にがっかりしているから。そこにストレスがある。そこに正直な毛穴がある。
夜更かししない。甘いものを控える。保湿をする。できることは、もちろんある。だけど今日の私がほしいのは、正しい対策というより、「今日のモヤっとを、どこに置くか」という場所なのかもしれない。
毛穴は、置き場所に選ばれやすい。顔だから。毎日見るから。分かりやすいから。そう考えると、毛穴がかわいそうになってくる。私の言えなかったことを、勝手に引き受けさせている。
鏡の前で、私は鼻を見ながら、ひとつだけ小さく聞いてみる。
“今日の私は、何を言えなかった?”
答えは出ない。出ないけど、出ないままでいい気もする。言えない日があって、言える日もあって、その間に肌が揺れる。揺れる私がいる。それだけで、今日は十分だと思いたい。
最後に、化粧水の匂いが少しだけ残った指先を嗅いで、私は照明を消した。暗くなると、毛穴は静かになる。静かになると、私も少しだけ呼吸が戻る。
きっと明日の朝、また鏡の前で同じことをする。それでも、今日のこの揺れだけは、誰にも見せないまま、ちゃんと私の中に置いておこうと思う。






