蛇口をひねっても何も出ない朝に、ひとりで暮らす現実が静かに迫ってきた話

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水道を使う女性
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大寒波の朝、蛇口をひねったのに「空っぽの音」だけがした

水道を使う女性

まだ外が青くなる前、目覚ましより先に寒さで目が覚めた。布団の中の空気がいつもより硬くて、寝返りを打つたびにシーツがパリッと鳴る気がして、ああ今日は本気だなって思った。窓の端にはうっすら結露が凍ったみたいな白い線があって、部屋の中なのに景色だけ先に冬山みたいになっている。


いつもなら、起きてすぐにキッチンで水を飲む。寝起きの喉を「現実」に戻すための儀式みたいなものなのに、その日は蛇口をひねっても、出てきたのは水じゃなくて、空気の抜けるような、軽い音だけだった。

「え、まさか」と思ってもう一度ひねる。強めに、祈りみたいに。けれど返ってくるのは、頼りない沈黙と、管の奥で何かが詰まっているような気配。水道が凍っている――頭では理解できるのに、身体がついてこない。
水って、いつも“ある”から。たぶん私は、水のことを考えたことがほとんどない。

その瞬間、ものすごく小さな出来事なのに、胸の奥が一段冷えた。大寒波ってニュースで聞いたやつが、こういう形で部屋の中まで入ってくるんだ、と。

ひとり暮らしの「詰み」は、だいたい生活の細いところから始まる

凍結した水道は、慌ててググると「焦って熱湯をかけるのは危ない」とか「ぬるま湯とタオル」とか、いろいろ出てくる。頭の中で、正しい対処法が踊る。でもそのとき私がいちばん困ったのは、対処法そのものより――“今この瞬間、私が誰にも頼れない”って感覚だった。

大げさに聞こえるかもしれないけど、蛇口から水が出ないだけで、生活が急にサバイバルみたいになる。顔が洗えない。トイレのことも気になる。やかんが空っぽ。歯磨きどうしよう。コーヒーの粉だけ棚に立派に並んでいて、なんだか皮肉。


こういうとき、同居人がいたら「やばいねー」って言い合って笑えるのかもしれないし、実家だったら誰かが勝手に何とかしてくれるのかもしれない。でも私の部屋は私ひとりで、静かで、冷たくて、正解が見つかるまで全部が保留になった。

ここで今日の「小さな出来事」。
私は、ペットボトルの水を買いに外へ出た。まだ朝の6時台。パジャマの上に適当なニットを着て、マフラーを巻いて、髪はぼさぼさのまま、コンビニまでの短い距離を「自分の生活を救うため」に歩いた。歩きながら、足元のアスファルトが薄く鳴って、空気が刺さる。


たった一本の水が、やけに重く感じた。

そして誰にも言わなかった本音が、そこで浮かんだ。
「もし今日、これが水道じゃなくて“もっと大きい何か”だったら、私は誰に連絡するんだろう」って。
怖いのは凍結じゃなくて、こういうときの“連絡先の少なさ”とか“頼り方の下手さ”とか、そういうところに自分の孤独がひょいっと顔を出すことだった。

たぶん読者のあなたも、こういう瞬間あると思う。
困っているのに、まず最初に「誰にも迷惑かけたくない」って思っちゃうやつ。
わかる…って、言いたくなるやつ。

「助けて」が言えないのは、強いからじゃなくて、癖になってるだけ

ペットボトルの水を手にする女性

水を買って帰って、まず顔を拭いた。洗うじゃなくて、拭く。たったそれだけなのに、なんだか“最低限の人間”に戻れた気がした。
次に、凍っているっぽい配管のあたりを触ってみて、もちろん冷たい。タオルを巻こうとしてもタオルも冷たい。ぬるま湯を用意しようにも、ぬるま湯は水からできているわけで、ここで小さな論理パズルが発生する。

こういうとき、管理会社に電話したらいい。頭ではわかる。でも電話の画面を開いて、番号を押す寸前で指が止まった。
「え、こんなことで電話していいの?」
「自分でできること、まだあるんじゃない?」
「忙しい時間に迷惑かな」
そういう“気遣いっぽい言い訳”が、すごいスピードで湧いてくる。

ここで気づく。私は、水道より先に、自分のほうが凍っている。
誰かに助けを求めることを、いつの間にか“負け”みたいに扱ってきたのかもしれない。仕事でも、友達関係でも、なんとなく「自分でやっておきます」を選ぶ癖がついていて、それが大人っぽいとか、ちゃんとしてるとか、そんな風に誤解してきた。
でも本当はただ、断られるのが怖いとか、面倒くさい人だと思われたくないとか、そういう弱い理由かもしれない。

ふと、隣の部屋の住人のことが頭をよぎった。廊下で何回か会釈したことがあるくらいの、顔は覚えているけど名前は知らない人。


「水、出ますか?」って聞けばいいだけなのに、私はその“一言”の難易度を勝手に上げてしまう。
質問するだけで、関係性が変わる気がした。相手に自分の生活を少しだけ見せることになるから。
でも、生活ってそもそも見えないと支え合えないんだよね。本当は。

結局その日は、まず建物の掲示板を見て「凍結の可能性があります」みたいな案内がないか確認して、それでもなかったから、管理会社に短く連絡した。


声は思ったより普通に出た。拍子抜けするくらい、相手は慣れていて、「寒波のときはよくあります」と淡々と対応してくれた。
その淡々さに、ちょっと救われた。
“私だけが大騒ぎしている”わけじゃなかったから。

ちいさな違和感は、「備え」じゃなくて「頼り方」に出る

午後になって、日が差したタイミングで水道が少しずつ戻ってきた。最初は細い線みたいな水が、遠慮がちに出て、それから普通の勢いになった。


その瞬間、私はなぜか「よかった」より先に、少しだけ悔しかった。水が出たことが悔しいわけじゃない。自分があんなに焦ったこと、そして“焦った自分を誰にも見せたくなかったこと”が、ちょっと恥ずかしくて悔しかった。

備えるって、ペットボトルを箱買いするとか、カイロをストックするとか、そういう“物”の話だと思っていたけど、今日の違和感はそこじゃなかった。


私に足りないのは、物じゃなくて「頼り方」だった。
困ったときにどこへ連絡するか、どう言えばいいか、助けてもらったあとにどう振る舞えばいいか――そういう当たり前の手順を、私はあまり練習してこなかった。ひとりで生活が回るように見せる練習ばかりしてきた。

たとえば、何かが壊れたときに業者を呼ぶのも、電気がつかないときに誰かに聞くのも、全部「私がちゃんとできてない」って判定される気がして、勝手に縮こまる。
でも冷静に考えたら、生活って、そもそも“誰かの手”の上に成り立っている。水道も電気も、宅配も、ゴミ収集も、コンビニも、全部。


私はただ、その支えを普段は見ないようにしていただけで、今日たまたま見えてしまったんだと思う。

で、今日の小さな変化。
私はスマホのメモに「困ったときの連絡先」と「言うことテンプレ」を作った。
管理会社の番号、ガス会社、近所の水が買える場所。あと「水道が出ません。凍結の可能性があります。建物全体か自室か確認したいです」みたいな、丁寧すぎない文章。


こういうの、どこかで“自分が弱い証拠”みたいに思っていたけど、弱いとか強いとかじゃなく、ただの生活スキルだって今日わかった。
それがわかっただけで、朝の不安がちょっとだけ形を変えた。

完璧に前向きにはなれない。というか、なりたくもない。
だって、ひとり暮らしの不安って、解決したようで、また別の日に別の顔で戻ってくるから。
でも今日の私は、「助けて」が言えない自分を責めるのを、ほんの少しだけやめた。責める代わりに、言いやすくする工夫をした。それだけ。

最後に、余韻みたいな問いかけを置いておく。
もし明日の朝、蛇口がまた沈黙していたら――あなたは誰に連絡する? そしてその“誰か”に、ちゃんと頼れる自分でいられそう?

水道を使う女性

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