なんで今日こんなに顔が疲れてるんだろうと思った夜に気づいた、生活の小さな歪み

冬の夜って、部屋の中だけ時間が遅い。外の空気はキンと冷たいのに、エアコンの風が当たる場所だけ妙に乾いていて、加湿器の水が切れていることに気づいた瞬間、私の機嫌も一緒にカラカラになっていく。
今日は帰りが遅くて、駅から家までの道でコンビニの明るさに吸い寄せられた。別にお腹が空いていたわけじゃない。たぶん、何かを「自分で選びたい」気分だったんだと思う。仕事の予定も、誰かの期待も、通知の音も、ぜんぶが私の先に立って道案内してくるみたいで、ちょっとだけ息が詰まっていたから。
コンビニの自動ドアが開いた瞬間の、あの“暖かいけど無機質な空気”が、今日は妙に落ち着いた。棚に並ぶ商品は整列していて、値札は嘘をつかない。誰にも急かされない。レジの列に並ぶ人たちも、私のことを見ていない。ここでは私は「ちゃんとしてる人」じゃなくてもいい気がして、気持ちが少しだけほどけた。
…そして私は、レジ横のホットスナックを手に取った。いつもなら「夜遅いしやめとこう」と思うやつ。今日は思わなかった。そういう日がある。人間ってたまに、自分の体のことを大切にしないことで、気持ちのバランスを取ろうとする。
部屋に帰って、靴を脱ぐ。コートをハンガーにかける。照明をつける。ここまでは、いつもの流れ。
だけど、その次が今日は違った。
テーブルの上に、朝のまま放置していた郵便物があった。封筒の角がちょっとだけ折れていて、見た目がすでに“処理されてない案件”の雰囲気を出している。たぶん、役所系。あるいは保険。もしくは、支払い。
私はそれを見た瞬間、反射で目をそらした。まるで目を合わせたら負けみたいに。
ここが今日の「小さな出来事」。
たった一通の封筒を、開けなかった。それだけ。
なのに、その“開けなかった”が、今日の私の心をすごく正確に表している気がした。
誰にも言わなかった本音が、その瞬間に浮かんだ。
「もうこれ以上、現実を増やさないでほしい」
変な言い方だけど、ほんとうにそう思った。現実って、なにもしてなくても勝手に増えていく。仕事のタスク、親からの連絡、友達の結婚報告、SNSの誰かのキラキラ、将来のお金のこと、部屋の汚れ、洗濯物の山。生きてるだけで、確認しなきゃいけないものが増えていく。
その中に、封筒の中身まで追加されたら、もう今日は抱えきれない気がした。
こういうとき、私はだいたい「自分の機嫌をとる」って言い方で誤魔化す。甘いものを食べるとか、好きな動画を流すとか、意味のないネットサーフィンとか。
でも今日は違った。私は、ホットスナックを食べながら、封筒を見ないふりをして、心の中で自分に言い訳を並べていた。
“今日は疲れてるし”
“明日でもいいし”
“今開けてもどうせ対応できないし”
全部、間違ってはいない。でも、どれも私を守ってはいない気がした。
肌が荒れるときって、だいたい心も荒れてる。
寝不足、気疲れ、自分を後回し。
これ全部、顔に出る。
…って、私は今日の自分を見て思った。
だけど今日のテーマは、美容でもスキンケアでもなくて、もっと別の話。

私は今日、「開けない」という行動を選んだ。
そしてそれは、私なりの“防御”だった。
封筒は、たぶんたいした内容じゃない。
でも、私にとっては「自分の生活を自分で管理しなきゃいけない」って現実の象徴みたいに見えた。
誰も代わってくれない。
逃げても消えない。
放置すれば、ちょっとだけ厄介になる。
それがわかってるから、余計に触れたくない。
“ちゃんとした自分”を出さなきゃいけない気がして、出せない自分がバレそうで、封筒を開ける手が止まる。
たぶん、私は最近ずっと「ちゃんとする」をしていた。
遅刻しない。返信する。仕事を回す。愛想よくする。最低限の家事を回す。
その“最低限”すら、積み木みたいに積み上がっていて、倒さないように慎重に歩いてる感じがあった。
そういうときって、ほんの小さな追加タスクが来ただけで、心が「もう無理」って言い出す。
大げさじゃなくて、ほんとに。
読者のあなたも、たぶんあると思う。
何か一つ、開けられないもの。
返信できないLINE。
聞けない結果。
見たくない通知。
ゴミ袋を縛るところで止まってる部屋。
その“止まってる一点”が、心の疲れを可視化してくる感じ。
「わかる…」って、言ってもらえたら嬉しい。私は今日、封筒一通に負けた人なので。
でも今日、いつもと違う小さな変化があった。
それは、封筒を開ける代わりに、私は“封筒の置き場所”を変えたこと。
逃げじゃん、って思うかもしれない。
うん、逃げ。
でも、ただの逃げじゃなくて、私は自分の中の違和感に気づいたんだと思う。
テーブルの上に置いてあると、封筒がずっと視界に入る。
視界に入るたびに「開けろ」「やれ」「ちゃんとしろ」って無言で責められてる気分になる。
そのたびに、私は「今は無理」って心で拒否して、ちょっとずつ消耗する。
つまり、私は封筒を開けないことで守っているようで、実は封筒に毎回ダメージをもらっていた。
だから私は、封筒を引き出しの中にしまった。
そして引き出しに、メモを貼った。
「明日じゃなくて、“体力があるとき”に」
これ、すごく小さいけど、私にとっては結構大きかった。
「明日やる」って言うと、明日の自分に丸投げした気がして、罪悪感が残る。
でも「体力があるとき」って言うと、未来の自分を人として扱ってる気がした。
明日の私にも波がある。機嫌もある。体調もある。
それを前提にしてあげると、不思議と自分への当たりが柔らかくなる。
最近、私は「今日はもう十分頑張った」って言ってから夜の支度をするようになった。
これ、誰に褒められるわけでもないし、何かが劇的に変わるわけでもない。
でも、一日の終わりに自分へ“許可”を出す感じがある。
今日という日を「未完のままでも、ここでいったん閉じていいよ」って言ってあげる感じ。
すると、その後の動きがちょっとだけ丁寧になる。雑に扱っていたものを、雑にしないで済む。
自分の手つきが、自分の気持ちを連れていくみたいに。
私は今日、封筒を開けなかった。
だけど、「開けなかった自分」を責めない選択をした。
これが今日の“ささやかな気づき”。
自己管理って、できる人が偉いみたいな空気がある。
でも本当は、自己管理って「できない日もある」ことまで含めて管理することじゃないかな、って最近思う。
自分を追い詰めたまま整えようとすると、生活はギスギスする。
ギスギスした生活って、結局、どこかに滲み出る。顔に出る。言葉に出る。態度に出る。
そして一番ダメージを受けるのは、たぶん自分自身。
今日の私は、たぶん“頑張ってるのに報われない感じ”に疲れてた。
頑張っても、仕事は終わらない。
頑張っても、将来の不安はゼロにならない。
頑張っても、毎日は普通にやってくる。
そのループの中で、「頑張り方」が雑になっていた。
雑になってるのに、まだ頑張ろうとしていた。
だから封筒が開けられなかった。
“やらなきゃ”が増えるほど、心は荒れる。
でも、“やらなきゃ”を減らせない日もある。
そのときにできるのは、せめて“自分への言い方”を変えること。
今日はそれをやっただけで、ほんの少しだけ楽になった。
引き出しの中の封筒は、明日もそこにいると思う。
そして私はたぶん、また一回はため息をつく。
でも、そのため息のあとに「私は今、体力が足りないだけ」って言えるなら、たぶん前より傷つかない。
そういう小さな差が、生活の空気を変えるのかもしれない。
最後に、問いかけをひとつ。
今日のあなたにも、開けられない封筒みたいなものがありましたか。
それは“怠け”でしたか、それとも“守り”でしたか。






