若さにしがみつくのをやめたら楽になった日|好きな服を選べる大人の余裕と機嫌のいい生き方

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若さがなくなるのが怖かったのに、30歳を過ぎたら「似合うもの」より「機嫌が悪くならないもの」を選べるようになった

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夕方の駅ビルって、なんだか人の年齢をごまかさない場所だな、とたまに思う。


明るすぎる照明の下で、ガラスに映る自分は、朝に家を出たときより少しだけくたびれて見えるし、横を通り過ぎる学生っぽい子たちの軽さを見ていると、昔の私はああいう感じだったんだろうか、と、頼んでもいない比較まで勝手に始まる。

今日も仕事帰り、改札を出てすぐの服屋さんの前で立ち止まったとき、最初に浮かんだのは「もう若くないんだから、あまり冒険しないほうがいいよね」という、口には出さないけれど何度も自分に言ってきたあの台詞だった。

でも今日は、そのあとが少し違った。


ハンガーにかかっていた、やわらかいレモン色のシャツが目に入って、きれいだなと思った。昔の私なら、その時点で終わりだったと思う。

きれいだな、でも若い子のほうが似合うよね、私は無難な白か黒を選んだほうが失敗しないよね、そうやって自分で自分に却下を出して、何事もなかったみたいに店を出ていたはずだから。

それなのに今日は、なぜかそのシャツを試着室まで持っていった。


別にドラマみたいなきっかけがあったわけじゃない。ただ、朝からずっと気を張っていて、会議では愛想よくして、どうでもいい雑談にもちゃんと笑って、帰るころにはもう「正しい自分」を演じるのに少し疲れていて、その疲れた頭で服を選んだら、たぶんまた“失敗しない服”しか買えないなと思っただけだった。

だったら一回くらい、自分の気分がどう動くかで選んでみてもいいんじゃないか、という、ささやかというより、ほとんど投げやりに近い気持ちだった。

試着室の鏡の前でそのシャツを着てみたとき、正直に言うと、最初に思ったのは「めちゃくちゃ似合う」ではなかった。
「二の腕、こうして見るとちゃんと大人だな」とか、
「顔色がいい日じゃないと負ける色かも」とか、
「これをさらっと着こなせる人って、もっと肩の力が抜けてる気がする」とか、そんな、相変わらず意地の悪い感想が頭の中を一周した。自分のことなのに、感想だけはいつも他人みたいに厳しい。

でも、そのあとにふっと出てきた本音が、今日は少しだけ新しかった。
“でも、嫌いじゃない。”
誰にも言わなかったけれど、その一言が鏡の前でちゃんと浮かんだ。


「若く見えるか」でもなく、「細く見えるか」でもなく、「周りから浮かないか」でもなく、ただ、自分で見ていてそこまで機嫌が悪くならない、むしろ少しだけ気分が持ち直す、という感覚だった。

この感覚、昔の私はたぶん見落としていた。


20代の頃って、もちろん楽しいことも多かったけれど、それと同じくらい、何かを選ぶたびに“採点”していた気がする。服も、髪型も、働き方も、恋愛の仕方も、ちゃんとして見えるか、遅れていないか、周りと比べて見劣りしないか、そんなことばかり気にしていた。

若いことそのものに価値があると、どこかで本気で思っていたから、若さが減っていくことは、そのまま自分の持ち札が減っていくことみたいで怖かった。

若さがあるうちは、選択肢が多いんじゃなくて、比較の材料が多すぎただけだった

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たぶん私は、若い頃の自分を少し美化していた。


あの頃のほうが自由だった、あの頃のほうが似合う服が多かった、あの頃のほうが人生の可能性が開いていた、そんなふうに思い込みたくなる日がある。

でも、よくよく思い出すと、自由だったというより、常に「まだ間に合う」「もっと良くなれる」「ここで決めるのはもったいない」と思い続けて、今を味わうのが下手だっただけかもしれない。

いくつか研究を読んでみても、年齢と幸福感の関係は単純に一直線ではなく、国や測り方で差もあるし、「年を取れば自動的に幸せになる」と言い切れる話ではなかった。

けれど一方で、若い時期から中年期にかけて感情の波が落ち着いていく傾向や、年齢を重ねるほど“本当に意味のあるもの”を優先しやすくなる、という説明は繰り返し出てくる。

感情面の幸福感は加齢とともに良好に見えるというレビューもあれば、幸福感の年齢曲線は単純なU字ではないという反論もあって、つまり大事なのは「若さ=幸福」という単純な式が、研究の世界でもそれほど強固ではないことなんだと思う。

さらに、社会情動的選択性理論では、人は時間を無限ではないと感じるほど、先のための拡大よりも、感情的に意味のあるものや安心できる関係を優先しやすくなるとされている。

要するに、年齢を重ねることは、ただ失っていくことではなく、「何を増やすか」より「何を減らすか」を上手に選べるようになることでもあるらしい。

これを読んだとき、妙に納得してしまった。


私は30歳を過ぎて急にポジティブになったわけじゃないし、自己肯定感が爆上がりしたわけでもない。相変わらず落ち込むし、比べるし、機嫌の悪い日もちゃんとある。

ただ、昔より少しだけ、「自分の機嫌をこれ以上悪くしない選び方」を覚えた気がする。それは華やかな成長じゃないけれど、生活の質を上げるのは、案外そういう地味な技術なのかもしれない。

今日、試着室で気づいたのは「似合う」より先に「責めなくて済む」が大事になっていたこと

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若い頃の私は、服を選ぶときまでどこか戦っていた。


少しでもよく見せたい、少しでも得したい、少しでも正解に近づきたい。だから失敗したくなかったし、失敗が怖いから無難なものを選んで、その無難さにあとから飽きて、でも冒険できなかった自分にもがっかりしていた。

今思うと、服を買っているというより、自己採点の材料を増やしていただけだったような気がする。

今日の試着室で、私がレモン色のシャツをそのまま買った理由は、たぶん「若く見えるから」じゃない。
「今の自分の顔色に、少しだけ風を通してくれる感じがしたから」だと思う。


そしてもっと正直に言えば、「これを着た自分を見ても、あまり嫌な気持ちにならなかったから」。
この感覚は、若さとは少し違う場所にある。

若いときって、似合う・似合わないの判定が、どうしても“外側”に寄りやすい。誰に褒められるか、どの層にウケるか、写真にしたときどう見えるか。もちろんそれが悪いわけじゃないし、私だって今もぜんぶ捨てられたわけじゃない。でも、30歳を過ぎてからの私は、そこにもうひとつ尺度が増えた。


「この選択をしたあと、自分は自分に優しくできるか」
たぶん、それが一番大きかった。

誰かに褒められるためじゃなく、自分の気分をこれ以上下げないために服を選びたくなる日、ある。
この一文、たぶん同世代の誰かには静かに刺さる気がする。


前は「そんなの守りに入ってるだけ」と思っていたけれど、実際には逆で、自分の機嫌を守れるようになることって、かなり攻めた大人の技術なのかもしれない。だって、自分を雑に扱わない選択って、意外と勇気がいるから。

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30歳から増えたのは自信じゃなくて、「不機嫌な自分に人生を預けない」ための小さな工夫だった

ここで少しだけ、具体的な話もしておきたい。


“機嫌の良さが人生の質を決める”と言うと、すごく整った人の話みたいに聞こえるけれど、私の現実はそんなにきれいじゃない。朝から全部うまくいく日なんて少ないし、ホルモンバランスにも普通に振り回されるし、仕事で変な一言を引きずってコンビニでスイーツを買いすぎる日もある。

機嫌がいい日ばかりじゃない、という前提は、むしろ年々強くなっている。

それでも、30歳を過ぎてから少し変わったのは、「不機嫌なときに大事なことを決めない」ようになったことだった。


今日みたいに、疲れているのに何か買いたい日は、一回鏡の前で立ち止まる。


返信したくないLINEは、その場で正しさを返そうとしない。


部屋が荒れている日に“人生終わってる感”まで話を広げない。


お腹が空いているときは、自分の性格まで疑わない。


書いてしまうと地味すぎるけれど、こういう小さな仕分けが、思っていた以上に自分を助ける。

昔は、人生を変えるのはもっと大きなものだと思っていた。


運命の出会いとか、劇的な転職とか、誰もが振り返るような成功体験とか。もちろんそういう節目もあるのだろうけれど、日々の満足度をじわじわ決めているのは、案外もっと小さい。

機嫌の悪い自分に全部の判断を握らせないこと。落ち込んでいる日の言葉を、自分の最終結論にしないこと。似合うかどうかより、着たあとに自分を嫌いにならないかを見ること。たぶん私は、若さを失った代わりに、そういう“運転の仕方”を少し覚えたのだと思う。

そしてそれは、世の中がよく言うような「自分を好きになろう」という話とは少し違う。


私は毎日自分が大好きなわけじゃない。むしろ面倒くさいし、気難しいし、考えすぎるし、たまに自分にうんざりする。でも、好きか嫌いかの二択じゃなくて、「今日の自分をこれ以上こじらせない」くらいなら、できる日が増えてきた。その増え方が、30歳以降の私にはかなり大きかった。

若さって、たしかに強い。


肌も、体力も、勢いも、たぶん本当に強い。


でも、人生の手触りまで全部決めるほど万能じゃなかった。


むしろ毎日の満足度を左右していたのは、鏡の前で自分にどんな言葉をかけるかとか、疲れている日に何を選ばないかとか、そういう目立たないところだった。

今日、紙袋に入ったレモン色のシャツを持って帰りながら、私は少しだけ不思議な気持ちになった。


若い頃に欲しかったのは、もっと褒められる自分だった気がする。


でも今ほしいのは、ちゃんと眠れて、変な比較で消耗しすぎず、好きな服を着た日に「まあ悪くないか」と思える生活だ。ずいぶん地味だし、映えもしない。でも、そういう生活のほうが、たぶん長く自分を助けてくれる。

人生は若さで決まる、と思っていた時期が確かにあった。


だけど今は、人生の質をじわじわ決めるのは、若さそのものより、不機嫌な自分にどこまで振り回されずに暮らせるかなんじゃないかと思っている。


ちゃんと笑える日が多いこと。


無理に背伸びしない服を選べること。


自分を責める時間を少し短くできること。


そういうものの積み重ねのほうが、年齢よりずっと生活を静かに変えていく。

あなたは最近、何を選んだときに、少しだけ自分の機嫌がよくなりましたか。

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