ちゃんとしていたいのに疲れてしまう夜へ、華凛karin基礎化粧品の上品シンプル習慣

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鏡の前の女性
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鏡を見るたび気持ちまで乾く日に、華凛karinシリーズで目指す無理しないハリ感ケア

微笑む女性

帰り道の風が、少しだけぬるくなっていた。昼間に着ていた薄手のカーディガンが、夜になるとちょうどいいような、でも駅のホームではまだ少し心もとないような、あの中途半端な季節の温度だった。

仕事を終えて、改札を抜けて、スマホを見たら、婚活アプリの通知がひとつ来ていて、でも返す気力はなくて、そのまま画面を伏せた。コンビニで何を買うか迷って、結局、鮭のおにぎりとカップのお味噌汁、それからなんとなく甘いものも必要な気がして、小さなチョコをひとつだけカゴに入れた。

冷静に見れば、別にちゃんとした夜ごはんではない。でも、こういう日って、栄養のことより「これ以上なにも考えなくて済むこと」のほうが大事だったりする。

部屋に帰ると、朝のままの空気が残っていて、脱ぎっぱなしの部屋着がベッドの端に寄っていて、洗っていないマグカップがシンクにひとつあった。外ではわりとちゃんとして見られるのに、家に戻ると生活はすぐ、私の本音のほうに寄ってくる。たぶん私は、きちんとしているんじゃなくて、きちんとしている時間を外に置いてきているだけなんだと思う。

洗面台の端に置いたままの箱が目に入った。MIYABIの「華凛 karIN」シリーズ。公式サイトを見ると、華凛は“忙しい現代を生きる人々が、自分らしく、凛とした美しさを保ち続けるために生まれた”ブランドで、Made in Japanにこだわっているらしい。

7日間集中セットや、化粧水・乳液・クレンジング&フォームの3点セットも展開されている。たしかにそういう言葉は、疲れている夜ほど静かに効いてくる。大げさな励ましより、「凛」という一文字のほうが、よほど強く胸に残ることがある。

ただ、今日の私は、その箱を見てすぐに前向きな気持ちにはならなかった。むしろ少しだけ、見透かされたような気持ちになった。凛としていたい気持ちはある。でも、凛としていたいと思う夜ほど、部屋は散らかっているし、コンビニの袋はまだ床に置いたままだし、通知を返す元気もない。そういう矛盾を抱えたまま、たぶん私たちは「整える」という言葉を好きになるのだと思う。

ぬるい味噌汁と、洗面台の端の箱

お湯を注いだだけのお味噌汁を、ローテーブルに置いて、テレビもつけずにしばらく湯気を見ていた。こういうとき、なにかを見ながら食べると、疲れていることをうまくごまかせてしまう。でも今日は、なんだかごまかしたくなかった。いや、本当はごまかすのに飽きた、のほうが近かったかもしれない。

ひと口飲んだお味噌汁は、ちゃんと温かいのに、どこか頼りなかった。たぶん私が求めていたのは味じゃなくて、「今日もなんとか終わった」と身体が納得できる感じだったのだと思う。そういう感覚って、意外と食べ物そのものより、部屋の明るさとか、椅子に座るまでの数秒とか、上着を脱いで腕が軽くなる瞬間とか、そういう細かいことで決まる。

食べ終わって、やっとコンビニの袋を片づけて、洗面台の前に立ったとき、鏡に映った自分の顔より先に、視界の端のほうに置いてあった「華凛」の箱に目がいった。名前のせいかもしれない。「華やか」じゃなくて、「凛」。その違いって、言葉にすると小さいのに、気持ちの置き場所としてはけっこう大きい。

華凛のラインナップには、モイスチャーローション、エッセンスミルク(UV)、クレンジング&フォームがあって、3点セットもあるらしい。

商品説明には、日々のケアを支えることや、忙しい人でも続けやすい印象の言葉が並んでいた。情報だけ見れば、よくある商品紹介なのかもしれない。でも、夜の洗面台でひとりで見ると、ああいう言葉は商品の説明というより、「いまの自分をどう扱うか」という話に近づいてくることがある。

その瞬間に思った本音は、たぶんあまり品がよくない。

「凛としていたいんじゃなくて、だらしない自分を見なかったことにしたいだけかも」

誰にも言っていないけど、そういう夜はある。整えたいんじゃなくて、取り繕いたい。落ち着きたいんじゃなくて、焦っている自分を一回だけ黙らせたい。丁寧な暮らしに憧れているというより、雑な暮らしをしている自分に少し飽きている。きれいな言い方を選べばいくらでも丸くなるけれど、本音ってだいたい、もう少しだけ棘がある。

「ちゃんとしてる」に守られて、「ちゃんとしてる」に疲れる

血糖値を気にする女性

たぶん私は、ずっと「ちゃんとしてる人」でいたかったんだと思う。職場でも、友達の前でも、アプリでやり取りする相手の前でも、ある程度は感じよく、会話も返せて、空気も読めて、清潔感もあって、未来に対してまるで不安なんてなさそうな顔をしていたい。

でも、そういう顔を何枚も持っていると、夜に全部はずれたときの反動が地味に重い。

今日も、職場では普通に笑えていた。受付で少し急いでいるお客さんに合わせて声のトーンを整えて、同僚に「助かりました」と言われて、「いえいえ」と返して、ちゃんとやれていたと思う。だからこそ、帰宅後にコンビニの袋を床に置いたまま動けない自分が、少しだけ気に障った。誰にも迷惑をかけていないのに、自分のなかの“ちゃんとしてる係”だけが、うるさく小言を言ってくる。

わかる、って思う人は多い気がする。人に見えるところではちゃんとできるのに、自分しか見ていない場所では、急に全部が雑になる夜がある。あれは怠けているというより、たぶん外で使った集中力の残りが、家まで持たないだけなんだと思う。

それなのに私は、家でまで“印象のいい自分”を演じようとしてしまう。部屋が片づいていること、返信が早いこと、冷蔵庫にちゃんと食材があること、そういうものを、誰も採点していないのに勝手に採点して、勝手に落ち込む。変な話だけど、家の中でさえ、私は少し他人の目をやっている。

MIYABIのブランド紹介にあった“自分らしく、凛とした美しさを保ち続ける”という言葉を見たとき、きれいだな、と思うのと同時に、私は少しだけ引っかかった。保ち続ける、って、簡単に言うなと思ったのかもしれない。続けることがいちばん難しい。しかも、きれいに続けるなんて無理だ。たぶん現実の私たちは、保てる日と、崩れる日を行ったり来たりして、その真ん中あたりでなんとか生活している。

でも、そこで気づいた。もしかしたら“凛とする”って、ずっと整ったままでいることじゃなくて、崩れた自分を見たあとに、雑に見捨てないことなのかもしれない、と。

この解釈は、たぶん公式のどこにも書いていない。ただ今夜の私には、そのくらい勝手な受け取り方のほうが助かった。ブランドの言葉をそのまま信じるというより、自分の生活に引き寄せて、少しだけ意味を変える。そうしないと、きれいな言葉はきれいなまま遠くに行ってしまうから。

整える、の前に「責めるのを一回止める」

キャリアウーマン

そのあと私は、部屋を片づけたわけでも、急に立派な夜を始めたわけでもない。シンクのマグカップを洗って、コンビニの袋を捨てて、スマホの通知を一度だけまとめて確認して、返せそうにないものは今日は閉じた。たったそれだけ。

でも、今日はそれで少し空気が変わった。

たぶんいつもの私は、「ちゃんとしなきゃ」の勢いで一気に立て直そうとして、その途中で面倒になって、結局なにもできずに自己嫌悪に戻る。ゼロか百か、みたいな整え方しか知らない。けれど今夜は、整える前に、責めるのを一回止めてみた。すると不思議と、行動のハードルが少し下がった。

これ、すごく小さいことだけど、案外ばかにできない。

部屋が荒れている夜って、散らかっているのは物だけじゃなくて、基準も荒れている。あれもできていない、これも中途半端、返信も遅い、将来もぼんやり不安、みたいに、いろんな採点表が一気に開いてしまう。だからたぶん、最初にやることは改善じゃなくて、採点表をいったん伏せることなんだと思う。今日はそこに、少しだけ気づけた気がした。

明日すぐ真似できることがあるとしたら、たぶん大したことじゃない。帰宅してすぐ、「整えよう」としないこと。まず、自分に点数をつけ始めていないかだけ見る。点数をつけていると気づいたら、ゴミをひとつ捨てるとか、マグカップをひとつ洗うとか、そのくらいのサイズにまで生活を小さくする。

未来も、恋愛も、仕事も、今日はそこに乗せない。そうしないと、今日の疲れに明日の不安まで上乗せしてしまうから。

“なんとなくしんどい”日は、原因を突き止めるより、しんどさに便乗して自分を雑に扱わないことのほうが先なのかもしれない。そんな当たり前みたいなことを、私はたぶん、当たり前にできていなかった。

たぶん、満たされないのは不足より採点のせいだ

今、部屋は劇的にはきれいじゃない。ベッドの端にはまだ服があるし、冷蔵庫の中も心もとない。でも、さっきより少しだけ、ここが“戻ってきた場所”に見える。たったそれだけの変化なのに、夜の重さは少し違う。

思えば私は、満たされない理由をずっと「足りないもの」のせいにしがちだった。もっと貯金があれば、もっとかわいければ、もっと愛されれば、もっと要領がよければ、みたいに。もちろん、足りないものは本当にあるのだと思う。ないふりをしても、現実はそう甘くない。

でも今日ふと、満たされなさの何割かは、不足そのものより、“ずっと採点されている感じ”から来ているのかもしれないと思った。しかも、その採点者の大半は他人じゃなくて、自分だ。

選ばれたいし、うまくいきたいし、ちゃんとして見られたい。そう願うこと自体は、別に悪くない。でも、その願いを持ったまま暮らしていると、何も起きていない夜まで試験会場みたいになる。コンビニのおにぎりひとつで済ませた夜も、返信を後回しにした夜も、床に袋を置いたまま動けなかった数分も、全部が「減点対象」みたいに見えてくる。

華凛、という名前を見ながら、私はちょっとだけ思った。凛としている人って、たぶん完璧な人じゃない。生活が崩れない人でもない。ただ、自分の崩れ方を必要以上に侮辱しない人なのかもしれない。今日の私は、そこまで到達していない。でも、少なくとも「崩れた=だめ」だけではない、という見方くらいは持てた気がする。忙しい人のために生まれた、というブランドの言葉も、そう読み替えた瞬間に、少しだけ遠くなくなった。

結局、私たちは毎日そこそこ疲れていて、そこそこ見栄もあって、そこそこ寂しい。その全部を抱えたまま、凛としていたいなんて、少し欲張りなのかもしれない。でも、その欲張りさがあるから、洗面台の端の小さな箱や、ぬるい味噌汁の湯気や、捨てたあとのコンビニ袋の軽さに、たまに救われるのだと思う。

ちゃんとしていたい気持ちは、たぶん明日も消えない。消えないままでいいのかもしれない。ただ、その気持ちを持っている自分を、夜のたびに裁判にかけるのは、そろそろ少しだけ飽きてきた。

最後に部屋の電気をひとつ消したとき、暗くなった窓に自分がうっすら映って、思ったより普通の顔をしていた。劇的に変わったわけじゃないのに、少しだけましに見えたのは、整ったからじゃなくて、今日は自分を責める手を一回だけ止められたからだった気がする。

満たされない夜って、何かを足すより先に、採点をやめたほうが静かになることがある。たぶんそれは、あまりかわいくない発見だけど、今の私にはそのくらいがちょうどいい。

鏡の前の女性

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