夜ごはん作れない日に頼れる選択、冷凍宅配弁当で罪悪感が少し軽くなる話

当ページのリンクには広告が含まれています。
料理をする女性
  • URLをコピーしました!

目次

疲れて帰宅した日の食事どうしてる?冷凍弁当で整うゆるい夜の過ごし方

料理をする女性

冷凍庫を開けたら、霜のついた保冷剤の奥に、この前買ったまま忘れていた冷凍うどんが見えて、あ、私また今日もちゃんと暮らせてないかも、みたいな気分になった。

夜の九時すぎ、メイクだけ落として髪はひとつに雑に結んだまま、キッチンの電気だけが白くて、シンクには朝のマグカップ、洗えていない小皿、スーパーの袋。おなかは空いてるのに、包丁を持つ元気まではなくて、でもコンビニの味で済ませると、あとから地味に落ち込む夜もある。

そういう時って、何を食べるかじゃなくて、今日の自分をどこまで雑に扱うか、みたいな変な問いになってしまうことがある。大げさすぎるってわかってるし、たかが夜ごはんなのにって自分でも思うのに、疲れている日の食事って、妙に心の機嫌まで連れていくから困る。最近そのあたりの気持ちの揺れと一緒に、Dr.つるかめキッチンのことをぼんやり見ていた。

この前もそうだった。

仕事が少し長引いた日の帰り、春なのに風だけ妙に冷たくて、駅前のドラッグストアの前で立ち止まって、何か甘いもの買おうかな、でも今買ったら帰ってすぐ食べるな、いやその前に夜ごはんどうするんだろう、みたいなことを五分くらい考えていた。五分って短そうで、立ち尽くしてる側からするとけっこう長い。

家に着いたら二十一時二十分で、靴を脱いだ瞬間からもう何も決めたくなかった。献立を考えるのもしんどいし、冷蔵庫の中身を見て足りないものを想像するのもしんどいし、洗い物が増える未来まで見えるともっとしんどい。

こういうの、たぶん誰にも褒められない疲れ方なんだけど、じわじわ来る。で、そんな日に限って、昼にインスタで見た丁寧な食卓とか、Threadsで流れてきた整った夜ごはんの写真とかを思い出す。

ちゃんと作って、ちゃんと食べて、ちゃんと眠る人たち。眩しいというより、私だけ着替えに失敗したみたいな気持ちになる。

でもThreadsって、きれいな写真ばかりでもなくて、家計の話の流れで、もう作りたくないし買いに行くのもしんどいから宅配に頼りたくなる、みたいな本音がぽろっと出てくる投稿もあったし、料理ができない時期はお弁当やお惣菜に助けられた、みたいな声もあって、ああ、みんな案外きれいごとだけじゃないんだなと思った。疲れた夜の台所って、ちょっと人に見せづらいだけで、わりと多くの人が同じ場所に立ってるのかもしれない。 (Threads)

Dr.つるかめキッチンを見ていて、へえ、と思ったのは、その感じをただの「手抜き」にしないための言い訳を、最初から少し用意してくれているところだった。

専門医と管理栄養士のダブル監修で、目的に合わせた五つのコースがあって、糖質に気をつけたい人向け、塩分に気をつけたい人向け、たんぱく質と塩分に配慮したもの、カロリーを抑えたもの、健康維持を考えたバランス系のものまで並んでいる。

自分の生活が乱れているから宅配にする、というより、生活のどこを整えたいかで選ぶ感じがあって、その順番が少しやさしい。

私は別に、今すぐ何かの数値で先生に怒られる立場ではない。たぶん。けど、年齢のせいなのか、婚活のせいなのか、健康診断の紙を前みたいに雑に見られなくなってきた。

昔は「再検査じゃないならまあいっか」で終わっていたのに、最近はその“まあいっか”に、あとからうっすら不安が混ざる。夜遅くにラーメンを食べた翌朝の顔とか、塩分が多かった日の指のむくみとか、そういう小さな現実がちょこちょこ身体に出るようになって、若い頃みたいに気合いで帳消しにできなくなってきた感じがある。

なのに、自炊を急に完璧にできるわけでもない。

ここ、ほんとうに都合が悪い。

健康っぽい暮らしに憧れてるくせに、帰宅後二十分で三品作る人にはなれないし、作り置きのタッパーが並ぶ冷蔵庫にもなっていない。休日に一週間分の下ごしらえを、みたいな動画を見ながら、へえ、すごい、と思ったまま終わる。終わるというか、その動画を保存して安心してしまう。保存しただけで少し頑張った気になるの、あれ何なんだろう。あとで見返したこと、ほぼないのに。

Dr.つるかめキッチンのメニューを見ていると、そこにあるのは“理想の食卓”というより、“崩れすぎないための現実”みたいで、私はその言い方のほうがしっくりきた。

冷凍で届いて、食べたい時に電子レンジで温めるだけ。届いたあとは冷凍保存で三か月から六か月くらいもつらしいから、冷蔵庫の中で急かされる感じも少ない。夜の自分にとって、すぐ悪くならないって、けっこう安心材料だと思う。

それに、メニューがおまかせっていうのも、最初は少し不自由かなと思ったけれど、疲れている時って、選べる自由より、決めなくていい安心のほうがありがたかったりする。

管理栄養士が栄養や旬のものを考えて献立を組んでいるという説明を読んで、今日は何食べよう、何なら罪悪感が薄いかな、みたいな小さい会議を毎晩ひとりで開かなくて済むの、かなり助かるかもしれない、と素直に思った。

もちろん、宅配の冷凍食って聞くと、どこかでまだ「ちゃんとしてない感」が頭をよぎる。そこまで忙しい人が頼むものじゃないか、とか、料理できない人みたいで嫌だな、とか。誰に見せるでもないのに、変な見栄だけはちゃんとある。

しかも一人暮らしのくせに、その見栄の相手がたぶん過去の自分だったりするのが、ちょっと面倒くさい。二十代の私は、疲れていてもまあ何とかしていた気がして、あの頃の自分から「え、冷凍弁当?」って言われそうな気がしてしまう。

でも、二十代の私は、翌朝のむくみをここまで引きずっていなかったし、夜中の胃もたれで目が覚めることも少なかったし、なにより“ちゃんとしなきゃ”の回収に使える体力が今よりあった。

今の私は、きれいに折りたたんだ理想より、明日ちょっと楽に起きられる現実のほうを選びたい夜がある。そういう夜に、塩分制限のコースは一食あたり塩分二・〇グラム以下、カロリー制限のコースは一食あたり二四〇キロカロリー前後、糖質制限のコースは糖質一五グラム以下を目安にしている、と数字で示してくれるのは、気休め以上の安心感があった。頑張れない日の私が、自分で栄養計算しなくていい。そこ、思ったより救いだった。

しかも味つけについても、やさしいだけじゃなく、だしや調理法を工夫して旨味を出していると書かれていて、制限食って聞いた時に勝手に想像してしまう、味のしない病院食みたいなイメージを少しずつ剥がしてくる

。こういう先入観、たぶんあるあるだと思う。身体に配慮した食事って、なんとなく“我慢の延長”みたいに見える。でも本当は、我慢だけで続くものでもないんだろうな、と、食べることが好きな私は思う。おいしくなかったら、どんな正しさも長続きしない。そこをわかってくれている感じがした。

このあいだ、仕事帰りにスーパーへ寄ったら、割引シールのついたお惣菜コーナーの前に人が集まっていて、私もその輪にまぎれた。唐揚げ、焼きそば、コロッケ、ポテトサラダ。

ぜんぶおいしそうで、ぜんぶ少し重そうだった。疲れている時って、身体より気分が食べたいものを選ぶから、翌日の自分がわりと迷惑を受ける。なのにその場では、明日の私に対してものすごく他人事なんだよなと思う。

いつもならそこから、まあいっか、今日くらい、で終わる。でも最近は、その“今日くらい”が週に何回あるんだっけ、みたいな変な冷静さが顔を出す。婚活の予定が入っている週なんて、なおさら。着たい服より先に、顔がむくんでないか気になるの、ちょっと切ない。

そういう意味では、Dr.つるかめキッチンって、体型を急に変えるとか、人生を立て直すとか、そういう派手な話じゃなくて、夜の判断ミスを少し減らすためのものなのかもしれない。健康維持向けのバランス栄養御膳でも一食三〇〇キロカロリー以下、塩分二・五グラム以下で設計されているらしくて、がんばれない日にも最低限の線を越えにくい。

自分に優しくするって、カフェでご褒美スイーツを食べることだけじゃなくて、明日の自分が困らない選択を、何も考えずにできるようにしておくことなのかも、と思ったりした。いや、そう書くと急にいい話っぽくなるから、自分で少し照れるけど。

あと、定期コースは送料無料で、解約やお届け日の変更は次回予定日の六日前まで、という仕組みも見かけて、こういうのは続けるかどうか迷う人にとって、地味に確認したいところだよなと思った。

勢いで始めて、やっぱり合わないかも、となった時に身動きが取れないのがいちばん嫌だから。私は何に対しても、始める前より、やめられるかどうかのほうが気になるタイプで、その慎重さのせいで損してることも多いんだけど、食事のことは毎日のことだから、なおさら気になる。

ただ、不思議なのは、こういうサービスを見ていても、私が本当に欲しいのが栄養だけなのかは、まだよくわからないことだった。

たぶん欲しいのは、夕方の自分に残っている判断力とか、帰宅してからごはんまでの短い距離を、あまり傷つかずに渡る方法とか、そういうものに近い。

ちゃんと食べたほうがいい、なんて、ほんとはみんな知ってる。知ってるのにできない日に、できなかった自分をこれ以上責めないで済む何かが欲しい。冷凍庫に“保険”みたいに入っている食事って、そのための道具としてはかなり優秀なんじゃないか、と、最近思う。

人に言えないけど、私はたまに、夜ごはんを適当に済ませたあと、歯を磨きながら少しだけ自分を見下すみたいな気分になる。たった一食で何が変わるんだって話なのに、食べ方が雑だった日は、暮らし全部が雑に見えてくる。

逆に、誰かが作ったものであっても、温かいものをちゃんと食べた日は、それだけで少し持ち直せる。そこに自炊かどうかは、案外そこまで関係ないのかもしれない。

ねえ、一人暮らしの夜って、どこまでを手抜きって呼ぶんだろう。

洗い物を減らしたいと思うのは、だらしなさなんだろうか。

栄養を自分で管理しきれない日に、管理栄養士に少し預けるみたいな選び方は、負けなんだろうか。

冷凍庫に整った食事があるだけで、今日を投げずに済むなら、それは甘えなんだろうか。

たぶん、こういう問いって、正しい答えを探し始めると急に乾く。だから私は、まだ決めないままでいたい。自炊できる日があってもいいし、できない日に頼る場所があってもいいし、そのあいだで揺れていてもいいのかもしれない。少なくとも、疲れた夜の私に必要なのは、反省文より、次の一口までの距離を短くしてくれる何かなんだと思う。

冷凍庫を開けた時、罪悪感より先に安心が出てくる夜があったら、ちょっとだけ気が楽かもしれない。

それだけで、翌朝の顔つきまで少し変わることがあるから。

料理をする女性

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次