鏡の前で、今日は隠すより整えたいと思った朝

今朝は、カーテンのすき間から入ってきた白っぽい光で目が覚めた。雨の前みたいに空気が少し重くて、部屋の中もなんとなく静かで、冷蔵庫の低い音だけがやけに聞こえていた。洗面所に立って、顔をぬるま湯で流したあと、鏡を見たとき、いちばん最初に思ったのは「今日、ファンデーションで全部なんとかするの、ちょっと疲れたな」だった。
もちろん、肌の調子がすごくいい日なんて、そんなに多くない。小鼻の赤みもあるし、頬には昨日の乾燥の名残みたいなざらつきもある。目の下はほんの少しくすんで見えるし、寝不足の翌朝って、どうしてこう、顔だけ先に本音をしゃべるんだろうと思う。
でも、今日はなぜか、うまく隠したいという気持ちより、ちゃんと触れて整えたい気持ちのほうが少しだけ勝っていた。
たぶん、今まであまり書いてこなかった感情でいうと、私は最近、“きれいに見せたい”より“厚塗りしている自分に少しだけ居心地の悪さを感じる”ことが増えた。誰かに「そんなの気にしすぎだよ」と言われたらそれまでの、小さすぎる違和感。でも、朝の鏡の前では、そういう小さな違和感ほど、やけに無視できなかったりする。
ノーファンデって、昔の私は、肌に自信がある人がするものだと思っていた。もともと毛穴が目立たなくて、寝不足でもつるんとしていて、コンシーラーなんてほぼ飾りです、みたいな人のもの。でも本当は、完璧な肌の人のための言葉じゃなくて、肌を隠すことと向き合うのに少し疲れた人のための選択肢なのかもしれない、と今は思う。
朝のスキンケアで大事なのは、意外と派手なことじゃない。やさしく洗って、保湿して、日焼け止めで守る、その地味な繰り返しだったりする。皮膚科系の情報でも、刺激の少ない洗浄、保湿、そして日中の紫外線対策は、健やかな肌づくりの基本として勧められているし、日焼け止めは broad-spectrum の SPF30 以上が推奨されている。
私は洗顔のあと、化粧水を急いで叩き込むより、手のひらで一回だけ顔を包むようにしている。大したことじゃないのに、その一呼吸で気持ちまで少し落ち着く。美容の仕事をしていた頃、お客様の肌に触れる前、自分の手が冷たすぎないか妙に気にしていたのを思い出す。きれいにするって、たぶん、強く何かを足すことより、雑にしないことのほうが近い。
■>>カプセル美容液「my’sパーソナライズセラム」隠したい日ほど、下地の前の時間がものを言う
ノーファンデ術、なんて言葉にすると少し器用に聞こえるけれど、私がやっていることはほんとうに地味だ。まず、朝のスキンケアを欲張らない。乾燥が気になる日に美容液を何種類も重ねると、その瞬間は満足しても、あとでよれやすくなって、鏡の中の自分にがっかりすることがある。あれ、つらい。頑張った日のほうがメイクが崩れると、少しだけ自分の不器用さまで見せつけられた気がするから。
だから今は、保湿をちゃんとして、必要なら肌を落ち着かせる成分をひとつ足すくらいで止めるようになった。最近よく名前を見かけるナイアシンアミドは、肌のバリア機能を支えたり、赤みを落ち着かせたり、乾燥しがちな肌の土台を整える助けになるとされていて、ノーファンデで“素肌っぽさ”を目指したいときには相性がいい成分だと思う。
ただ、ここで少しだけ本音を書くと、私たちはたぶん、ノーファンデになりたいんじゃなくて、“何かを隠し続けなくても大丈夫な顔で外に出たい”だけなんだと思う。
この違い、地味だけど大きい。
隠す前提だと、今日も欠点探しから始まる。でも、整える前提だと、頬は乾いてないかな、とか、小鼻は擦りすぎてないかな、とか、見る場所が少し変わる。その変化はほんの小さなものだけど、朝の自分への態度としてはかなり違う。
それで結局、ベースメイクはどうしているのかというと、下地と気になる部分だけのコンシーラーで終える日が増えた。全顔を均一にしようとしない。その代わり、眉、まつ毛、頬の血色、唇の色は少しだけ整える。肌を全部塗らないぶん、他のパーツがちゃんとしているだけで、思っていたより“手抜き感”は出ない。むしろ、顔全体に呼吸できる余白ができる感じがする。
■>>akyrise/洗う、整える、潤す。大人のノーファンデは、勇気というより手放し方なのかもしれない

若い頃の私は、ベースメイクがしっかりしていないと落ち着かなかった。毛穴もくすみも、全部見せないようにしたかったし、ちゃんとして見えることが、社会人としての礼儀みたいに思っていたところもある。
でも、30歳になって、一人暮らしの部屋で朝の支度をしていると、ときどき思う。誰に見せるために、ここまで均一であろうとしていたんだろう、って。
もちろん、ファンデーションが悪いわけじゃない。きれいにのると気分が上がるし、会いたい人がいる日、写真を撮る日、肌を少し整えて出かけたい日に、頼れる存在なのは変わらない。ただ、毎日それを“必須”にしてしまうと、素肌の日の自分に点数をつける癖まで一緒についてくる気がした。
読者さんの中にも、あるんじゃないでしょうか。今日はそこまで気合いを入れたいわけじゃないのに、ちゃんとして見えなきゃ、と思ってつい塗り重ねて、夕方にはその重たさに自分で少し疲れてしまう日。
わかる。ほんとうに、わかる。
大人のノーファンデって、堂々とすっぴんを見せることではなくて、全部隠そうとしないで、自分の顔との折り合いを少しずつ覚えていくことなのかもしれない。肌の調子を支えるために、夜はレチノールやレチノイド系を少しずつ取り入れる選択もあるし、皮膚科の情報でも、こうした成分は細かい凹凸や軽い色むら、ニキビが気になる人には選択肢になりうるとされている。ただし、いきなり強く始めず、隔日くらいからゆっくり慣らす考え方が勧められている。
だから結局、ノーファンデ術ってメイクの裏ワザというより、生活の癖に近い。擦りすぎない、盛りすぎない、寝不足のまま放置しない、日焼け止めを面倒くさがらない。そういう、派手じゃない積み重ねのほうが、あとからじわじわ効いてくる。
今日の私は、結局ファンデーションを使わなかった。駅のホームでガラスに映った自分の顔は、いつもより少しだけ色むらが見えたし、完璧とはほど遠かった。でも、その“不完全さが見えている感じ”に、前ほど慌てなかった。
それはたぶん、肌が急にきれいになったからじゃなくて、隠しきれない部分がある自分を、朝のうちに少しだけ許せたからだと思う。
帰り道、ドラッグストアの鏡の前で、つい毛穴を覗き込みそうになって、あ、またやってる、と心の中で笑った。きれいになりたい気持ちはたぶん、これからもなくならない。でも、その気持ちに急かされすぎずに、今日は今日の顔で外に出られたことを、少しくらいは認めてもいいのかもしれない。
明日の朝、鏡の前の私は、また何かを隠したくなるかもしれない。ちゃんと見せたい日も、もちろんあると思う。
それでも、ときどきは、塗ることで整えるんじゃなくて、触れ方や重ね方を少し変えることで、顔つきまでやわらかくなる朝があってもいい。
あなたは最近、鏡の前で、何をいちばん隠したくなりましたか。
それは肌でしょうか、それとも、ちょっと疲れている気持ちのほうでしょうか。







