コチュジャンの赤が、今日の私の「言い訳」をぜんぶ吸い取ってくれた夜(ピリ辛あんかけきのこ鍋)

今朝、カーテンを開けた瞬間に「うわ、今日って空が薄い…」って思いました。冬の晴れってもっと青くて、きっぱりしてるはずなのに、今日はグレーの膜を一枚かぶせたみたいで、部屋の中までちょっとだけ気分が鈍くなる感じ。洗濯物を干す手も、いつもよりやる気がないのが自分でわかって、なのに、そういう日に限ってスマホの通知だけは元気に増えるんですよね。仕事の連絡、微妙に返信しづらい友だちのスタンプ、どうでもいいキャンペーン。
「私の脳みそ、今日まだ起動してないんですけど」って誰にも言えないまま、白湯をぬるくして飲みました。
で、今日実際に起きた小さな出来事は、ほんとに小さい。
昼休みに買い物へ行って、レジに並んで、財布を出した瞬間、コートの内ポケットに入れてたポイントカードが床に落ちたんです。落ちた音が思ったより大きくて、後ろの人が一瞬だけ私を見て、すぐ視線を戻した、その“秒”が妙に刺さって。拾い上げながら、私はたぶん笑ったんだけど、笑い方がちょっと変だった気がして。
誰にも言わなかった本音はこれです。
「私、いま、すごく雑に扱われたくない」って。誰も雑にしてないのに。床に落ちたのは私のカードなのに。勝手に自分のことを“今日は丁寧にされる価値がない人”みたいに感じて、勝手にしょげてる。こういうの、ほんと面倒くさいなって思うのに、止められない。
たぶん私、疲れてるときほど「小さく恥をかく」ことに弱いんだと思います。
夜、帰ってきて、部屋の電気をつけたら、いつも通りのはずなのに、いつもより散らかって見えました。床に落ちたカードの感触がまだ残っていて、なんだか今日の自分を、湯で流してしまいたくなった。
そこで思い出したのが、コチュジャン。赤くて、辛くて、ちょっと乱暴で、それでいて妙に頼りになるやつ。今日は、コチュジャンを使ったピリッと辛い「あんかけきのこ鍋」にしました。とろみのあるスープって、なぜか気持ちの角を丸くしてくれる気がするから。ご飯にのせてどんぶりにしても成立する、あの“逃げ道”があるのもいい。
きのこの山に、今日の疲れを埋める準備(材料と下ごしらえ)
きのこ鍋って、豪華な肉や魚がなくても「ちゃんと食べた感」を出せるのがずるい。冷蔵庫がさみしい日に限って、きのこはなぜかある。しかも安い。そういう現実的な味方が私は好きです。
今日の私の分量(1〜2人分くらい)
- きのこ:合計300〜400gくらい(しめじ、えのき、舞茸、椎茸、エリンギ…あるものを寄せ集めでOK)
- 豆腐:1/2丁〜1丁(木綿でも絹でも、今日は気分で)
- 長ねぎ:1/2本(斜め切り、白いところは厚めが好き)
- 豚こま or 豚バラ:100〜150g(なくても成立するけど、あると“人生が整った感”が出る)
- ごま油:小さじ1(最初の香り担当)
スープ(鍋つゆの芯)
- だし:水+顆粒だしでも、白だしでもOK(私は今日は“顆粒だし+水”の現実路線)
- しょうゆ:少し
- みりん or 砂糖:少し(辛さの輪郭が丸くなる)
- コチュジャン:主役(大さじ1〜2くらいから様子見)
- にんにく・しょうが:ちょびっと(チューブでも全然いい)
とろみ(あんかけの正体)
- 片栗粉:小さじ2〜大さじ1(好みのとろみで調整)
- 水:片栗粉と同量くらいで溶く(“水溶き片栗粉”)
ここで大事なのは、きのこは洗いすぎないこと。どうしても気になるならサッと拭くくらいで。水っぽくなると香りが逃げるから、今日みたいに心が薄い日は、香りにちゃんと助けてもらいたい。
コチュジャンは「辛い」だけじゃなく、気分のスイッチでもある(作り方)
鍋って、料理の中でいちばん“許される”と思う。多少切り方が雑でも、味が濃くても薄くても、途中で足せばいい。失敗しても取り返しがつく。
今日の私は、取り返しのつくものに触りたかったんだと思います。
作り方(流れ)
- 鍋にごま油を入れて火をつける
にんにく(チューブでも刻みでも)を入れて、香りが立ったら豚肉を軽く炒めます。肉の色が変わればOK。ここで“ちゃんと焼け”を目指さない。今日は私が主役で、肉は脇役。 - スープを入れて、コチュジャンで味の土台を作る
水+だし(顆粒だし/白だし/鶏ガラ系、どれでも)を入れて、みりん少し、しょうゆ少し。そこにコチュジャンを溶かします。
コチュジャンって、辛いだけじゃなくて甘みとコクがあるから、味が一気に“それっぽく”なるのがありがたい。私は最初からドバッと入れずに、大さじ1→味見→足すにします。辛さって、強いほど正義じゃない。今日の体調と機嫌に合わせた辛さが正解。 - きのこ・ねぎ・豆腐を入れて煮る
きのこは種類が多いほど楽しい。えのきの細さ、舞茸の香り、椎茸のうまみ、しめじの万能さ。
全部入れると鍋が“森”みたいになるんだけど、その感じが好きです。森って、多少ぐちゃぐちゃでも成立してるじゃないですか。 - 味を決めてから、とろみをつける(重要)
ここが“あんかけ鍋”の気持ちよさの核。
いったん味見して、「もうちょいコチュジャン」「もうちょいしょうゆ」「甘み少し」みたいに整えてから、水溶き片栗粉を少しずつ入れます。入れたら混ぜて、30秒くらい待つ。
とろみは急に来るから、焦って全部入れると、鍋が“餅の手前”みたいになる。私は昔それをやって、無言で水を足し続けた夜がある。 - 仕上げ
好みで白ごま、ラー油、刻みねぎ。辛さを足したいなら一味。
私は今日は、何かを足して強くするより、とろみの中に沈むほうを選びました。
鍋のあとに、ご飯へかけて「どんぶり」にする背徳(でも、救われる)

鍋って、食べてるときより、最後が好きです。
きのこのうまみが溶けて、コチュジャンの赤が少し落ち着いて、とろみが全体をつないで、もう“スープ”というより“居場所”みたいになる瞬間。
今日のおすすめは、テーマ通り、ご飯に盛り付けてどんぶり。
器にご飯をよそって、あんかけきのこ鍋を上からかける。豆腐も一緒にすくう。ねぎを少し散らす。
これ、見た目は地味なのに、食べるとちゃんと満足するし、なにより温度が下がりにくいから、最後まで“あったかい自分”を保てる。
そして、ここで読者に言いたい。
「わかる…って言いながら、結局いちばん欲しいの、ちゃんと温かいものだよね。」
誰かの言葉じゃなくて、温度。予定じゃなくて、湯気。反省じゃなくて、とろみ。そういう日、あります。
私は今日、ポイントカードが落ちただけで、気持ちが小さく凹んだ。そんな自分が情けなくもあるけど、同時に「ああ、私って“雑に扱われたくない”って思うくらいには、ちゃんと自分を大事にしたいんだな」とも思いました。
それって、前向きな決意とかじゃない。キラキラした自己肯定でもない。もっと泥くさい、“扱い方の希望”みたいなもの。
コチュジャンの辛さは、その希望を一瞬だけ強くしてくれる。
「今日はこういう日だった」って、認めるためのスイッチみたいに。
鍋の火を止めて、部屋が少し静かになったとき、朝の薄い空の感じがやっと薄まった気がしました。外の世界は相変わらず忙しそうで、明日もたぶん通知は増える。私はまた何かを落とすかもしれない。
でも、落としたあとに、自分で拾って、温め直せる夜があるなら、それでいいのかもしれない。
ねえ、あなたは今日、どんな“小さな落下”がありましたか。
それを拾い上げるために、今夜は何をあたためますか。






