春なのに決めきれない朝、薄着で後悔する日と安心を選びすぎた日のあいだで揺れる服の話

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春の女性
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暖かいのに寒い日、持つか迷う羽織り一枚がバッグの中で自己主張してくる春の服選び

デニムコーデ

夜の十一時すぎ、洗いきれなかったマグカップがシンクにひとつだけ残っていて、部屋の中には柔軟剤と少し湿ったタオルのにおいが混ざっていた。


帰ってすぐ脱いだ薄手のニットは椅子の背もたれに半分だけかかっていて、そこに昼間の迷いがまだ残っているみたいで、なんとなく目をそらせなかった。


昼はあんなに暖かかったのに、帰り道の風は思ったより冷たくて、信号待ちのあいだ、腕を組んだ自分の格好がちょっと頼りなく見えた。


春になると毎年、着る、着ない、持つ、持たない、という細かい判断ばかり増える。コートをしまうには早い気もするし、着て出たら負けたような気もするし、そのくせ寒かったら普通に機嫌が悪くなる。

さっきまで楽天のRyuRyuのページをぼんやり見ていて、トップスやパンツ、羽織ものがずらっと並ぶ画面をスクロールしながら、春って服が足りない季節というより、決めきれない季節なんだなと思った。お店のページにも春向けのブラウスやパンツ、ワンピースみたいな軽い服がたくさん並んでいて、見ているだけで少しだけちゃんとした人になれそうな気がした。けれど、画面を閉じた瞬間、明日の気温ひとつでまた全部わからなくなる。


朝、家を出る前の私はだいたい小さい。
鏡の前で全身を見るときだけ、自分の気分まで布の厚みで決まるみたいで、今日の私は“シャツ一枚で平気な人”なのか、“まだ何かを羽織っていたい人”なのか、そこで少し立ち止まる。

この時期の困るところは、寒いことじゃない。
昨日うまくいった服が、今日はうまくいかないことで、昨日の自分には似合っていた気がするものが、今日はなんだか背伸びに見えることで、たった一日で正解みたいな顔をしていたものが裏切ってくるところだ。


天気予報は見ている。最高気温も最低気温も見ている。見ているのに、玄関でまた迷う。
だったらもう一枚持てばいいだけなのに、その“念のため”の一枚が、荷物の中でやけに生活感を出す。かわいい小さめバッグに憧れて買ったはずなのに、結局そこへ畳んだカーディガンを押し込んで、形が崩れて、何を優先したいのかよくわからない女が完成する。

昼休みに外へ出たら、会社の近くの桜はまだ満開ではなくて、風が吹くたび、咲く気満々の枝だけが先走って揺れていた。


その下を、薄いジャケットをきれいに着た同年代くらいの女性が歩いていて、ああいう人は朝の玄関で迷ったりしないんだろうか、と勝手に思った。
たぶん迷ってる。たぶん私と同じくらい迷ってる。
なのに、そう見えない人を見ると少しだけ嫉妬する。
服そのものというより、季節との付き合い方がうまそうな感じに。

夕方、スマホを見たらSNSには“今日のコーデ”みたいな写真が流れてきて、足元は軽くて、色もやさしくて、春って感じですね、という顔をした投稿ばかりだった。
ああいうのを見るたび、誰も「朝は寒くて駅で後悔した」とか、「帰り道は思ったより風が強くて薄着を恨んだ」とか書かないんだな、と思う。


いや、書かないだけで、あるのかもしれない。
でも、ないように見える。
その“ないように見える”が、仕事や恋愛や将来のお金のことに少し疲れている日に限って、妙に刺さる。
自分だけが季節に乗り遅れているみたいで、春服ひとつ決められない私は、暮らし全体の段取りも悪い人みたいに思えてくる。


大げさなのはわかっている。
ただ、わかっていても、そういう日がある。

この前、帰りの電車で向かいに座っていた女の子が、半袖の上にすごく薄いシャツを羽織っていて、その袖を肘までまくったまま寝ていた。
気持ちよさそうで、ちょっといいなと思った。


私はといえば、朝の判断ミスが怖くて、わりと無難なほうへ無難なほうへ寄ってしまう。
そのくせ家に帰ると、「なんか今日、地味だったな」と思う。
寒くないことは守れたのに、少し気分が沈む。


こういうの、誰にも言わない。
服の話って軽そうだから。
でも、軽そうなことでずっと機嫌が決まってしまう日って、たしかにある。


口紅の色がちょっと違うとか、前髪が決まらないとか、その程度のことで、自分への信頼がすこし剥がれる日がある。
春の服は、それが起こりやすい。
薄くて、軽くて、曖昧だから。

RyuRyuのページで春物を見ていると、ボウタイブラウスとか、きれいに落ちるパンツとか、ちゃんと外に出ていくための服が並んでいて、見ているぶんには気持ちが整ってくる。


こういう一枚があれば、朝の迷いも少し減るのかもしれない、と思う。
けれど本当は、服が足りないというより、自分の“今日はどこまで春でいたいか”が日によって違うだけなのかもしれない。
元気な日は、少し寒くても平気なふりができる。
疲れている日は、やさしく守ってくれる布がほしい。
それだけなのに、毎年それを忘れて、春になるたび同じところで立ち止まる。

これって、私だけなんだろうか。
天気じゃなくて気分のほうで服を決めたい日があることとか、
ちゃんとして見られたいくせに、頑張ってる感じは出したくないこととか、
軽やかでいたいのに、まだ少し何かに守られていたいこととか。

大人になると、季節に合わせるのが上手になると思っていた。
でも実際は、春の入り口で毎年おろおろして、いらない自意識まで一緒に着たり脱いだりしている。
あの日、あの人が薄いジャケットを似合う感じで着ていたのも、その人が迷わないからじゃなくて、迷った跡をうまく隠していただけなのかもしれない。


そう考えると少しだけ楽になるけれど、明日の朝の私は、たぶんまた玄関で立ち止まる。

ベランダの外で、誰かが小さくくしゃみをした。
また、明日になれば違う服を着て、同じことで迷う気もする。


春の女性

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